アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き 著者はトーマス・バイロンさん。 翻訳は福間巌さん。
著者はトーマスさんだが、インドの古典なのでおそらく英訳なのだろう。ニーム・カロリ・ババのお弟子さんとお弟子さんで、1991年に亡くられているようだ。翻訳の福間さんはインドやスリランカで仏教修行をされていた方でスピリチュアルな本をいくつか翻訳されている。
この本の紹介は以下で始まる。
誰によって、いつ書かれたかは定かではないが
時を経て愛され、読みつがれてきたアシュターヴァクラ・ギーター
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の教えの神髄をシンプルに表したもっとも純粋な聖典。
ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。あなたは、純粋な気づき
すべてのものごとを見守る観照者なのだ
世界はただの幻にすぎない放棄することを放棄しなさい!
何も拒んではならないし、何も受け入れてはならない
静かにありなさい。だが、何よりも幸せでありなさい。
ただものごとをあるがままに知ることで、
あなたは自己を見いだすだろうインドの霊性の歴史は、意識の源泉を探求し続け、自己の本性である真我を実現するに至った偉大なる覚者を数知れず生み出してきた。
彼らが確立した数多くの教義のなかでも、現在もっとも勢力をもち、広く行きわたっている教えがアドヴァイタ・ヴェーダーンタである。
ヴェーダーンタは世界最古の聖典『ヴェーダ』の最後に表された『ウパニシャッド』の教えを基本とした宗教哲学であり、その一学派であるアドヴァイタは「不二一元論」と呼ばれ、宇宙の根本原理ブラフマンと自己の本質アートマンの同一性を主要な教義としている。幾世紀にもわたって受け継がれてきたこの教えは、インドを代表する2人の偉大な聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサとラマナ・マハルシの弟子たちによって広く紹介されて世界中に浸透し、21世紀に入り、急速な広まりを見せている。山に籠もることや宗教組織に加わること、剃髪して僧衣に着替えることでなく、オフィスや学校で、あるいは電車の中で、各個人が日常生活において誰にも知られないで静かに内面に向かい、「私」という想念が湧き起こる自己存在の源にとどまることで真我に至ることができるという革新的な教えである。
ヨーガ・スートラをはじめとしたヨガ哲学の本だったり、覚者と言われる人やネオアドヴァイタ(非二元論)と言われたり分類されるような本や動画をいろいろ読んできた。
ラマナ・マハルシや、ここでも何度か紹介している近代のカリスマ的な覚者のOSHO、現代のスピリチュアルリーダーのエックハルト・トールだったり、ディーバッグ・チョプラ、トニーパーソンズ、ルバート・スパイラ、名前が知られていないような人の本だったりも。
これ一冊で十分かもしれない。本棚を整理して本を数冊残すなら選ぶであろうと思う本と最近出会った。それが、このアシュターヴァクラ・ギーター。
バカヴァット・ギーターのような物語でもなく、ヨーガ・スートラのように修行の道が書かれているのではなく、直接に真理をただ伝えている。美しい詩だ。
ハタヨーガをやっているなら、アシュターヴァクラ・アーサナ(賢者アシュターヴァクラのポーズ)というヨガポーズを練習する人も多いだろう。アシュターヴァクラとは八曲がりという意味だとされていて、父親の呪いで奇形になったという伝説がある。この賢者アシュターヴァクラが、弟子であるジャナカ王との対話という形で書かれた聖典が、アシュターヴァクラ・ギーター。現実は偉大な賢者の名を冠しているが書いたのはアシュターヴァクラではなく、のちの世でアシュターヴァクラの名をつけて書かれたという。
アシュターヴァクラ・ギーターは、インド哲学のヴェーダンタ哲学のアドヴァイタ「不二一元論」について書かれていると言われる。 パタンジャリのヨーガ・スートラのサンキーヤ学派やヨガ学派とは、違っていて、シャンカラによって完成したとされる。 書いていて、これ以上自分の説明は不要だろうと思った。
アシュターヴァクラ・ギーターを少し抜粋して紹介したい。そして、心に何か響いたら購入して手元に置いて欲しい。
1真我−4
身体のことは忘れ
あなた自身の気づきの内にとどまりなさい
たちまち、あなたは幸せになるだろう
永遠に安らかに
永遠に自由に
1−7
あなたは永遠に自由な
すべてのものごとを見守るただ一人の鑑照者
だが、もし自分自身を分離した存在と見なすなら
そのとき、あなたは束縛されている
1−11
もし自分は自由だと考えるなら
あなたは自由だ
もし束縛されていると考えるなら
あなたは束縛されている
なぜなら、古の言葉にあるとおり
あなたは自分が思うものになるからだ
1-13
真我に瞑想しなさい
ニのない、一なるもの
崇高な気づき
分離した自己という
幻想を捨て去りなさい
私はあれやこれだ
内側だ外側だという
感覚を手放しなさい
2気づき−15
私は知るものではなく
知られるものでもなく
知ることもできない
これら三つは実在しないう
ただ本来の自己を知らないから
そう思えるだけ
私は完全無欠なのだ
1−19
身体は無
世界は無だ
これらを完全に理解するとき
どうしてそれらを想像から生み出しつづけることができよう?
なぜなら真我は
純粋な気づきに他ならないのだから
3智慧ー3
大海の波のように
そのなかで世界が沸き起こっては静まりかえるそれ
それがあなた自身だと知りながら
なぜみじめにうろつきまわるのか
3−5
賢い人は
すべてが彼自身の中にあり
彼自身がすべての中にあることを知っている
それにもかかわらず、なんと奇妙なことだろう!
彼はいまだにこう言うー「これは私のもの」と
7無執着−7
変化するものごとの中に
それらの純粋な姿だけを見なさい
自己の本性の内にとどまりなさい
あなた自身を解き放ちなさい
12成就ー1
はじめに行為を放棄し
それから無駄な言葉を
そして最後には思考そのものを棄て去り
今、私はここにいる
13幸福−3
私は何もしないということを知りながら
何であれ、起こるにまかせて行為する
そして、私は幸せだ
18師ー21
彼の心は
瞑想や行為のために努力しない
彼の心は
意図せず瞑想し行為する
20私はシヴァー12
二のない、一なるもの
私は常に変わらない
ハートの内に私はとどまる
20章にわたる詩集のような本の一部を抜粋させていただきました。
どんなふうに感じたでしょうか?
私は、読んでただただ美しさに心のどこかが触れて涙が出てきました。
誰かに何かが伝わりますように。
この美しい本と出会えたことに感謝を。
パタンジャリのヨーガ・スートラを学ぶ 1章1節 Atha アタ
ハタヨーガの開祖が示す教典 ゴーラクシャ・シャタカ サンスクリット語全解について