YOGAとNVCの精神性 非暴力 アヒムサを繋いでみる
前回はNVCの世界観について、自分なりの言葉で、書いたが、非暴力コミュニケーションの目的は、人が自然と誰かのために与えたり、分け合ったりする関係性にあるってことを書いた。
マーシャル・B・ローゼンバーグの書籍である「NVC 人と人の関係にいのちを吹き込む法」の監訳者であるCNVC(Centar for nonviolent communicayon)認定トレーナーである安納献さんから、以前に聞いた話では、NVCの目的にたどり着いた副産物として、非暴力があるという。
非暴力という言葉で、多くの人が頭に思い浮かぶのは、インドの独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーではないでしょうか。非暴力・不服従 サティヤ・グラハ運動、塩の行進。非暴力 Non violent サンスクリット語でAhimsa(日本ではアヒンサーと呼ばれることが多いですが、ここではアヒムサと書いてますが意味は一緒です。) 非暴力 アヒムサの教えはヒンズー教、仏教、ジャイナ教といったインドで生まれた宗教の教えでもあり、ヨーガの教えでもある。
ヨーガの聖典、ヨガ・スートラをまとめたパタンジャリはヨガの実修を八支に分け、その一番最初がYAMA(ヤマ 禁戒)で、ヤマには5つあり、その一つがアヒムサである。himsa(ヒムサ)という言葉の反対がアヒムサである。スワミ・サッチダーナンダのヨガスートラを解説したインテグラル・ヨーガによるとアヒムサは不殺生と言われるが、苦痛を引き起こさないことと解説している。
Ⅱ-30 ヤマ(禁戒)は、非暴力(アヒムサ)、正直(サティヤ)、不盗(アスティヤ)、禁欲(プラフマチャリ)、不貧(アパリグラハ)よりなる。
非暴力の意味は苦痛を引き起こさないこと。
これは肉体的な暴力だけでなく心の暴力も意味する。それは、5つのヤマの2つめのサティヤ(正直)からも読み取れる。サティヤ、正直、嘘を言わないこと。心の中で暴力的な気持ちが芽生えたことを我慢していたら、2つめのサティヤの実践で葛藤が起きる。 肉体的にも心からも非暴力であること。
さらにヨガスートラを読んでいくと、非暴力というのは、ただ暴力を振るわないとか苦痛を引き起こさないということだけを言っているのではない。
Ⅱ-32 否定的想念によって、撹乱されたときは、反対のもの【肯定的想念】が念想されるべきである。それがプラクティパクシャ・パーヴァナである。
憎しみが心の中にあったら、愛の想念に変えよう。 非暴力とは暴力を振るわないというよりも、愛の想念によって行動することで、与えることなのではないだろうか。
ここで非暴力コミュニケーションの目的に戻ると、NVCは自然に喜んで与え合う関係性を育てていく。
自然に与えることが非暴力だという気づきが、Non violent communicationの名前に込められているように思います。
ヨーガと言えば、アーサナ(ポーズ)の練習を多なっている人が、多いと思いますが、アーサナは八支即の3番目で、坐法と書かれており、元々は座ることだったと言われています。 ヨーガの修行、トレーニングは心の取り扱いについて多くを使われていて、ヨガ・スートラは心理学とも呼べるような心についてシンプルに書かれている。NVCとともにヨーガについても、書いていきたいと思う。
*この記事は以前にnoteに書いたものを少し修正して再投稿したものです。
コメント
[…] NVCについて、こちらも読んでみてください。 YOGAとNVCの精神性 非暴力 アヒムサを繋いでみる […]
[…] YOGAとNVCの精神性 非暴力 アヒムサを繋いでみる […]