インドの哲学では一元論とか二元論という話が出てきて、ヨガを学んでいると混乱することがあります。
言ってることが哲学で違うし、先生でも違う。
ヨガの教典と言われる『バガヴァッド・ギーター』は一元論、『ヨーガ・スートラ』は二元論と言われます。現在では多くの人が行うハタヨーガは、一元論だが、二元論の『ヨーガ・スートラ』をバイブルとして学んで、一元論と二元論の違いに戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか?
一元論や二元論を簡単に書いてみようと思いまあす。 自分が書いていることが100%正しいわけではないので、完全には信じないでください。
ヴェーダンタの一元論
インド哲学には、『ヴェーダ』と言われる聖典を採用するのが主流派で、大きく六派哲学と言われます。
ヴェーダとは聖典であり個人の考えではなく、リシ(修行者)が瞑想などで天から降りてきたものであるという。
そのなかでもっとも主流なのが、ヴェーダンタ学派で、最も古いヴェーダ聖典は紀元前1200年くらいに書かれたと言われます。紀元前1000年から500年くらいに書かれたというバラモン教(今のヒンズー教の元になった宗教)の教典であるウパニシャッド(奥義書と訳される)は108あり、ヴェーダンタ学派はその教えが元になっている。ウパニシャッドとは傍に座るという意味で、師のそばに座って学ぶということからきているようだ。 この長い教えを現代人が簡単に書くなんて不可能なんだが、それでも書くと、世界はたったひとつブラフマン(梵)のみが存在し、個人意識の本質であるアートマン(我)はブラフマンと同一で梵我一如であるという。 世界はたったひとつである一元論となる。
しかし、これもツッコミどころがいろいろとあり、長い年月にかけて議論されていたという。
仏教の釈迦やジャイナ教のマハーヴィラなどヴェーダを肯定しない哲学、宗教も現れる。
ヨーガ・スートラの二元論
パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」が書かれたのは4、5世紀ころであっとされる。ウパニシャッドから実に1000年も経っている。
ヨガ学派の教典でサンキーヤ学派のサンキーヤ哲学が元になっている。教典の中には仏教の影響を受けていると思われるものもある。
サンキーヤ哲学ではプルシャ(真我、物質原理、観るもの)とプラクリティ(根本原理、宇宙意識、純粋意識、観られるもの)が出会うことで世界が展開されていく。世界は観るものと観られるものの2つである二元論ということです。 瞑想によって、観られるものである対象が自分ではなく、純粋意識に気づいていくというのが、ざっくり書くとヨガの世界。アーユルヴェーダの五大元素もサンキーヤ哲学の世界が展開していくなかで5つの元素で世界が構成されているという考えに基づいている。
パタンジャリのヨーガスートラを読む 1章5節ー6節 ヴリッティ(心の作用)
シャンカラの不二一元論とハタヨーガ
現代のインド哲学の主流はヴェーダンタ学派の不二一元論 アドヴァイタ・ヴェーダンタである。8世紀ごろに登場したインド最大の哲学者と言われるシャンカラによって確立したという。 シャンカラによってインドから仏教が消滅したと言われる。 またシャンカラは仏教の哲学をヴェーダ哲学に取り込んで、仮面の仏教徒と言われたりもする。
シャンカラの思想もブラフマン(梵)とアートマン(我)はひとつであるというヴェーダンダ哲学であるが、現象世界はマーヤ(幻)でありアートマンもブラフマンから現れた幻である。シャンカラの哲学はサンキーヤの二元論や仏教の哲学もブラフマンのみが実在であとは幻だって、全部を取り込んでしまっているように見える。 初期仏教はアートマンの存在を否定しているとされる。直接アートマンはいないとは言ってないが、私ではないものは何かというもの非我を探求していくことでアートマンがどこにも存在していないと至る。
シャンカラの思想は2つにあらず、ひとつであるという不二一元論。なんだかボカして誤魔化せれているような気分になりませんか?
さてハタヨーガはタントラの流れのヨガで、シヴァ派と仏教の密教をあわせたナータ派からきているといわれてる。ハタヨーガの開祖はゴーラクシャナータ。 シヴァとシャンクティ、男性エネルギーと女性エネルギーの合一。 プルシャとプラクリティは別れておらず同一であるという一元論、こちらも不二一元論といったほうがあってそうです。ハタヨガはラージャヨガへの道だってハタヨガプラティピカーに書いてあるから、ハタヨガとラージャヨガは一緒だとか言う人もいますが、強引に結びつけている感じが満載です。
ハタヨーガの開祖が示す教典 ゴーラクシャ・シャタカ サンスクリット語全解について
非二元論 ノンデュアリティ
近年、スピリチュアルな人たちの流行りだった、非二元 ノンデュアリティ。ブームはもう去ったようにも思いますが、「私はいない」という自己の不在、無我であり、世界はひとつであるワンネスである。不二一元論と似ているようですが、インド哲学の一部を切り取ったようで、フワっとしているような感じがします。
結局何が正しいの?
ここまで読んだ方は、結局何が正しいのか? もしかしたらさらに混乱しているかもしれません。
もし読んで興味を持ってくれた人がいたら嬉しいです。
ヨガの哲学は学べば学ぶほどカオスで混乱していきます。 しかし自分は面白くて好きです。
有名な先生でも言ってることを鵜呑みにして信じないようにしましょう。
何より、頭での理解より実践して日々生きることが大事だと思います。 感想や質問などあればご気軽にお伝えください。
パタンジャリのヨーガ・スートラを学ぶ 1章1節 Atha アタ
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