いま、目覚めゆくあなたへ–本当の自分、本当の幸せに出会うとき マイケル・A・シンガー。日本語版は2010年に発売されたんだけど、この本は2020年にNVCトレーナーのロバート・ゴンザレスがオンラインのプログラムで、同じ著者のサレンダーという本とともに紹介されていた。いろんな本を引っ張り出して紹介するシリーズです。
ロバートは2017年のNVCの国際集中トレーニングでのリードトレーナーで、2020年には、日本でロバートのリトリートが開催予定だった。 友人が2年かけて企画して、自分も会場の予定地の視察を3カ所一緒に見に行ったりしていて、参加するつもりで参加費も用意していた。コロナ禍で中止になり、オンラインのプログラムが開催された。オンラインのプログラムに参加した人たち、かなり衝撃を受けたようだけど、リアルでロバートのクラスを受けたら、比較にならないくらいヤバイよって叫んで言いたいくらいだったが、残念ながらロバートは2021年末に肉体を離れて、もう受けることはできなくなった。 でも、ロバートから受け取ったエネルギーはずっと流れているよって思うんだ。
Living Compassion スピリチュアリティと人のコミュニケーションが交わる場所
マイケル・A・シンガーさんの本の話するはずが、最初から脱線してしまった。
この本では、インドの聖者ラマナ・マハルシの「わたしは誰か?」という問いかけから始まる。 ラマナ・マハルシの本も面白いので紹介したいが、スピリチュアルなティーチャーたちは、いろんな人の言葉を引用して、それを噛み砕いで説明してくれたりする。 そこで前に読んだ他の本が気になって開いて、確認したりする。
シンガーさんの著書で書かれていることで、自分がとくに気になったところは3章と4章でエネルギーについて、思考や感情もエネルギーで、人は常にエネルギーが流れているのに、そのエネルギーを感じられなくなっていて、その原因はハートを開いていないからという。ハートを開くことで無尽蔵のエネルギーとともにいることができる。ハートは霊妙なエネルギーでできた楽器であるという。 前述したロバートがまさにクラスで、自分のニーズ(生命エネルギー)を楽器のようにハートで受け取るって言っていた。ハートを開かずにブロックしているとヨガの言葉でいうとサンスクリット語のサンスカーラ(Samskara)が蓄積されるということも説明している。インド哲学の言葉は同じ言葉でも意味が複数あったり、時代やダルシャンによって意味が変わってくるので、そのまま受け止めていいのかということも気にしたいが、気にしすぎると読書はすすまない。
ヨガ哲学からサンスカーラ(潜在印象)と潜在意識 ヨーガスートラ2章から
ハートを開いて生きるとはどういうことだろうか? 「意識の中心」に居座る、自己の座に座っている、外部の何かを変えようとしないなど。そして自分を不完全な存在だと感じていることから自由になる。なぜ不完全だと感じてしまうのかという仕組みや、何かに対して抵抗している時にどうやって手放してリラックスするのか? 説明はわかりやすく書かれているのだけど、やはりプラクティスが必要だと思う。 瞑想であり、ヨガであり、自分の中で何が起きているのかというトレーニングが大事じゃないかな。
老子の道徳経についても触れている、「道」タオの教え、明と暗、拡大と収縮、無為と為、全ては両極で、エネルギーは常に真ん中にある。 陰陽という言葉使わずに陰陽を説明されていることにシンガーさんの個性が出ているように思えた。それとも翻訳のせいで原本は違うのだろうか?
ヨガの哲学などで教えていることをわかりやすくどう説明するかということに勉強になります。一方で自分の言葉にすることで、より難解に感じてしまう人もいるのではないだろうか?
陰ヨガ(yinyoga)のような静的なプラクティスと合わせたら、とてもパワフルな実践になるのではないだろうか?ということで実践してみますね。
さてマイケル・A・シンガーさんについて知りたかったら、著者の別の本であるサレンダーの方にどんな人生を歩んできたか書いてあり、これが人生こんな風に想像を超えて展開していくのかって、かなり面白かったです。
最後に、この本の後半に書かれていた一文を抜粋させていただいてしめたいと思います。
自然は、受け取るものには誰にでもひたすらあたえる。たとえあなたが受け取らない選択をしたとしても、あなたを罰することはない。あなたが受け取らない選択をしたことで、自分自身を罰するのだ。
ここまで読んでくれて、ありがとう。 ハートの楽器がどんな音を奏でているのか耳を傾けてみよう。