異なる意見や対立している相手でも共感できるのか?

NVC 非暴力コミュニケーション

「うん、うん、わかる、わかるー、私も同じ考えで、めっちゃ共感する!」

相手と同じ、気持ちや考えであるってときに共感という言葉を使われていることが多いと思う。 

自分もNVC 非暴力コミュニケーションを学ぶ前まではそう考えていた。

NVCについて最初から読んでみたいと思ったら、以下の記事をチェックしてくれると嬉しいです。

NVC その1 人はなぜ対立するのだろうか? 非暴力コミュニケーションの種

「うん、うん、わかるー、同じー、Same」のようなのは、NVCでは共感(Enpathy エンパシー)ではなく、同情(Sympathyシンパシー)で、共感と似て全く違うものだと区別されている。

共感には相手と意見が同じどころか、意見が全く異なる対立する相手でも共感することができる。 

嫌いな上司だろうが、泥棒だろうが、主義主張の違う政治家だろうと、宗教が違っていても、でもそんなの関係ねーっオッパッピーの小島よしおのように関係なく、共感は生まれる。

オッパピーは関係なく、共感はどんな考えだとかは、空っぽにして、今この瞬間に相手がどんな気持ち(Feeling)で、何を必要として大事にしているか(needs)、ただただハート(Heart)の声に耳を傾けて受け取ること。

『誰かに共感するために、そのひとや、話の知的な文脈をよく知っている必要はない。ただ、こころを空にして、そのひとの気持ちと、大切にしているものを聴きなさい。』
マーシャル・B・ローゼンバーグ

共感には2つのポイントがあると思う。

1つは、共感と違って同情では相手と自分と分けている。相手と同じ考えや気持ちなのか、違うのか。共感ではは相手と自分は同じだろうか違うっていようが、そんなの関係ねーのオッパピーで、相手の気持ちとともにいることができる。

2つ目は、同情は過去の出来事に対してで、共感は今この瞬間に起きていること。

同情は何か自分の経験だったり記憶を投影しているが、共感ではただただ今この瞬間の気持ちを大事にする。

さて、ここで例を一つ出してみようと思う。 せっかくなので少し過激な例にしよう。

「泥棒」

泥棒と聞いてどう思いますか?  悪いやつでしょうか? 許せないやつですか? 罰を受けるべきでしょうか?

食べようと思っていた、美味しいバケットを盗まれてしまった。

あるいは、ガーデンで育てていたゴーヤを盗まれてしまった。今夜はゴーヤ・チャンプルを作る予定だったのに。 なんて、ことを想像してみたら、どう思うでしょうか。ふざけんーな。ばかやろー!ってなるかもしれない。

でも、もし食べ物を盗んだ人が、もう何日もご飯を食べていない。お金が無くて何も買えない。お金が無くて可哀想って思うだろうか。

そんなの関係ねーオッパッピーで、どんな状況だろうとムカつくのはムカつくかもしれない。

それでも、食べたいっていうニーズには共感ができる。 

全ての人が持っている生きるためのニーズに。 食べるというニーズが満たされていないということは、仕事がないとか、人との繋がりも少ないとか、寂しかったり、辛かったりといろんな気持ちがあることを人は想像することができる。

どんな状況でも共感を持って繋がることができるとNVCは教えてくれている。本当に可能なのだろうか? 

他者の心からの声に耳を傾けてみよう。

*この記事は2年前くらいにnoteに掲載したものを少し修正して掲載しています。

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