わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと サリー・ボンジャース  (著, 編集)

スピリチュアル

いっときノンデュアリティ(非二元)とかネオ・アドヴァイタといわれる世界の本を読み漁っていたことがあった。そんなころ出会った本のほとんどがすでに処分してしまった。 引き寄せの法則といわれる本にもハマったことあったが、みんな処分してしまったし。 そんななかでもまだ手元に残っている数少ない本のひとつ。2017年だったと思う友人に面白い本あるって聞いて、そのあとすぐに発見した。 最初に読んだ時は覚醒したり悟った人は、こんなふうな感覚なんだ、でもよくわからないと思った。 最近読み直したら、よくわかるっていうか、自分もそういうふうに感じる、腑に落ちるってことばかり。でも自分は悟ったとか覚醒したとか思っていない。

さて原題はEveryday Enlightenment (2008年刊)、日本語訳のタイトルが、「わかっちゃった人たち」でサブタイトルが、「わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと」 著者がサリー・ボンジャース さんで、翻訳が古閑博丈さん。この分野の翻訳をいっぱいされていたのですが、最近は活動をしていないようです。

覚醒したマスター、聖者のような人ではなく、どこにでもいそうな人たちの覚醒体験、悟り体験を取材した話です。強烈な修行してクンダリーニが覚醒するとか、ヒマラヤの山奥で修行しているとか、サマディに入って誰がみてもオーラがあるとか、そんな話ではなく、えっそんな話っていうような話だったりします。ただ、まるでそういう世界に関心がなかったひとたちではなく何かしたらスピリチュアルなものに関心があり、精神世界の探究をしていたような人たち。 本の参加者ではスピリチュアルリーダーのひとりであるトニーパーソンズのミーティングに参加していたりです。

Dさんという人はロージャー・リンデンの個人セッションで何かがわかったといいます。 それを探求が終わったとか解放とか言っている。スピリチュアルな探求は終わったが、お金や健康、人間関係といった問題は続いていて、ただ思考と一体化しなくなったという。

すべては意識なんだということは明白です。あるのは気づきだけですが、人はその気づきの中に現れるイメージのそれぞれにラベルを貼りつけます。そして、あるものを「机」と呼び、あるものを「自分」と呼びます。どういうふうになっているかはまったく明白で、疑う余地はアリアm戦、それだけす。

44ページ (D・A)

2人目の人は21歳の時に歯科医院で麻酔手術を受けているときにおそらく体外離脱のような体験をして、その後LSDで似た体験をしたり、自分に起きたことがなんだったか本を片っ端から読んでと探求が始まり、ムクターナンダに帰依し、ラメッシ・バルカーセルのリトリートから帰ってきて「わかったわ!」と友人に言ったという。探求の終わりはいつっていうのではなくゆるやかに起こったようだ。

私は旅行をするのですが、面白いことに、なぜその資金ができるのかわからないんですが、ともかくこれまでどうにかなっています。

55ページ (C・B)

思考から自由になったとき、必要なことは起きるときに起きる。いわゆる引き寄せの法則のようなことが起きるが、引き寄せているのではなく、それはただ完璧に調和して最初から存在しているというのが自分の理解です。 人生はなるようになる。

3人目の人の話が面白くて好き。オーストラリアは存在しない。

ものごとのあるがままの状態をそのまま受け入れたら、苦しみはない。苦しみは劇の中、現象の中で起きること。苦しみは確かに起こるよ。痛みも起こる。喜びも起こる。そういうことはいずれにしても起こるんだ。でもそれは誰かに起こってることではなく一体性(ワンネス)の中でただ起こること。一体性がそういう形でみずからを表現してるってことなんだ。

78ページ (I.D.A)

4人目の人はOSHOのサニヤシン(弟子)でもあった人で、この人もトニーパーソンズに出会っている。それ、解放や覚醒のようなことが起きたばかりでまだ定着していないようだった。

5人目の人は長く探求してきた人。覚醒したからといって洞窟にこもっているわけでなく、最近の関心ごとは、自然保護で環境保護団体にも関わっているようだ。

境界線は消えてなくなりました。境界線が消えるというのは、どんなときでも自分を他者に差し出しているということです。

136ページ(C・T)

慈悲のことを言っているんだろうなって思った。 慈悲喜捨について以前も書いたけど、自分という自我(エゴ)が弱ってくると他者へのおもいやり、共感の力が育ってくるのだと思う。

6人目の人はドラッグをやったりとかの経験もあり、奇跡のコースでシフトが起き、トニーパーソンズの本で探求が終わったというが、探求が終わった後も非二元にリトリートに楽しんで参加しているという。わかったから、もういいぜじゃないのが面白い、本当に人それぞれの体験が起きている。最後の7人目の人はスピリチュアルな道を20年とか歩んできたという。 それらの経験は探求者の脳や神経系に影響を与えたことは間違いないだろうが、この本で語られていることは探求した未来のことではなく、今この瞬間この場所のことで解放なのか覚醒なのか、神秘体験なのか何かが起きようが起きまいが起きることがただ起きている。ワンネスという海の中の波がワンネスを探そうとしているかのように探すものは、ここだってこと。アドヴァイタとか非二元とかワンネスとか、そんなワードが気になる人はすでに、それなんだ。

これらの体験とヨーガでいうサマディの分類などと比較してみるのも面白いかもしれない。

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