死について41の答え OSHO The Art of Living and Diying

インド哲学

The Art of Living and Diying

死について、誰もが生まれてから死に向かっている。この考えは本当だろうか? 子供の頃、死という得体の知れない、なんだかよくわからないものが怖かった。死んだらどうなるんだろう? 死んだらどこに行くのか、自分という存在は消えてしまうのか、やがて大人になり、いずれやってくるであろう死というものについて真剣に考えることは減っていった。それでも、死はずっと身近だった。親戚、友人、様々な人が病気や事故でこの世を去っていった。死とは何か? その問いは生とは何か? 生命とは? そして自分とは何者かという問いでもある。

いつだって隣り合わせで決して避けることはできない死について、タブーなようでタブーになりえないこと。ヨーガとの出会いはインドの死生観である輪廻転生とは何か?中学生の時、同級生に借りて読んだ漫画の「火の鳥」。人が永遠に輪廻を繰り返す物語は、面白さと恐怖、自分がどこからきて、どこへ向かっているのか、自分という存在の不確かさと、でも確かにここにいるという。 生きるうえでリアルなことがタブーになっているような世界。死について、セックスのこと、お金のこと。 こういう話をもっと日常の会話でしてもいいんじゃないかって思います。

 

どんどん話が長くなっていくが、死についての興味関心に、答えへのヒントとなる一冊の本と出会った。OSHOの「死について41の答え」。 原題は「The Art of Living and Diying」。

OSHOの650冊の著作の中から選んだ生と死についての話。650も著作があるのか。

死について書かれたこの本が美しい。 何ヶ月前にこの本のことを動画でも紹介しています。

この本は、はじめに「死神とヤヤティの物語」の紹介ではじまる。短く要約すると偉大な王ヤヤティは100年生きて、死神が迎えに来た。しかしまだ生きたいと願うヤヤティには100人の息子がいて、誰かを代わりに死神に連れていってもらうことにしたら、一番若い息子が代わりに行った。そして100年後また死神がきて同じような物語を繰り返して、千年経って王様はやっといくことにした。王様は千年生きてもまだ不満なままだったが、やっとわかったことは一万年生きても満足できないということだった。OSHOはこれが執着だという。執着からの解放が死からの解放で、生と死という車輪からの解放だという。400ページ以上の本ですが、最初の数ページで答えがあるようだった。

そしてゴータマ・ブッダの話から始まる。

仏陀は言っていた。唯一理解する価値があること、それはあなたはいないということだ、と。

36ページ

これは無我、無常ということを言っているのでしょうか?

自分の興味、輪廻転生について。

私はあなたに、一つのことを言いたい。輪廻転生の観念全体が誤解なのだ。

人が死ぬとき、その人の存在は全体の一部になるというのはほんとうだ。彼が罪人だろうと、聖者だろうと関係ない。しかし、彼はまた、マインド、記憶と呼ばれるものを持っていた。過去においては、記憶を思考の束や思考波として説明するような情報は手に入らなかったが、今やそれは簡単になっている。

そしてそれこそ、私が多くの点で、ゴータマ・ブッダが、彼の時代よりもはるかに先んじていたと思うことだ。彼は私の説明に同意したであろう唯一の人間だ。彼は示唆を与えはしたが、どんな証拠も提供できなかった。何も言えることはなかったのだ。 人が死ぬと、その記憶ーー自己ではなくーーが新しい子宮へと旅をすると彼は言っていた。

さて、あなたが死にゆくときに、記憶を空中のありとあらゆるところに残していくというのは理解できることだ。もしあなたがずっと惨めだったら、あなたのあらゆる惨めは、一定の場所を見つけるだろう。他の記憶システムの中に入るだろう。その惨めさが全部一の子宮に入るかどうかは別としてーーそのように人は自分の過去を思いだす。それはあなたの過去ではない。あなたが受け継いだのは、他の誰かのマインドだったのだ。

134ページ

輪廻転生はないが、惨めさは転生する。何百万もの人々の傷が、進んで惨めになろうとしている人を探して、あなたの周りでうごめいている。

136ページ

輪廻転生があるのかないのか? このOSHOの答えは、自分はもっともしっくりきた。そして美しさを感じた。 魂という個別のものが輪廻するわけではなく、記憶が世界に残り他者の記憶に入っていく。

この話について動画も撮っているので、興味ある人は聴いてみてください。

死は敵ではない。

それがそう見えるのは、私たちが生にあまりにもしがみついているからだ。死の恐怖は、執着から湧き起こる。そしてこの執着ゆえに、私たちは死の何たるかを知ることができない。それだけではない、生の何たるかを知ることもできないのだ。

406ページ

このOSHOの死への教えは、生への教えでもあった。そして死と生は陰陽。眠りと覚醒。 死は究極の陰であり、人は瞬間瞬間に死と生を繰り返している。 ずっと死ととともいるし、死はないともいえるのではないだろうか。

この本とても面白くて、紹介したいところはいっぱいあるのですが是非、本を買うか図書館で借りて読んでみてほしい。最後に抜隊禅師が死ぬ前に弟子に書いた手紙の言葉で締めたいと思います。

お前の心(マインド)の本質は、生まれもせず、それゆえ、死にもしない。。。

432ページ 抜隊禅師

読んでくれて、ありがとうございます。

OSHOの本については他にも書いています。

                     

瞑想録: 静寂の言葉 OSHO

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