この本を何かに分類するとなると、非二元(ノンデュアリティ)ということを説明しているスピリチュアルな本になるのだろう。
著者はヤン・ケルスショット。訳は村上りえこさん。 いっとき、非二元(ノンデュアリティ)なるジャンルと言っていいのか、この手の本を読みまくっていた時期があった。
手放した本もかなりあるが、まだ手元にあるものもある。
非二元(ノンデュアリティ)の本の中で、この本は自分が読んだ中では当たりだった。
この本の紹介文は以下のように書かれている。
「ホーム」とは、故郷であり源である「意識」、無限で非人格な意識を指しています。
そこには、個人(エゴ)はありません。エゴは概念です。この本では、ノンデュアリティ(非二元)について懇切丁寧に順を追って説明しています。
基本的なところから、タントラ、死、超越体験まで網羅しています。序文:トニー・パーソンズ
まえがき:ネイサン・ギル———————————————————
本書では理論・実践の両方からアプローチしていきます。多数の
実験を提示します。大切なことの一点めは、オープンな姿勢で、
子どものように無心になって実験してみることです。———————————————————
最後の一線を越える人もいることでしょう。そこにはスペースがあり、
そこではいかなる言葉も概念も機能を失います。———————————————————
エゴがいる正確な場所はどこでしょう? 今ここで、実際に確
かめてみるのです! どこですか? ……ただの概念でしかな
いのですから、そんな人物を見つけることはできませんね。———————————————————
探究者などいないということがようやくわかったとしたなら、
誰がその探究をするのでしょう? まだそこに留まっているの
は誰? おわかりですね、ホームに戻るのはあなたではありま
せん。気づきがそれ自身を再発見しているのです。つまり、誰
もホームに戻りません。意識はすでにホームなのですから。———————————————————
(本文より)
タイトルに書かれているホームとは何だろうか? イントロダクションでは、HOMEとは元来た場所。 さて、どこでしょうか?
本文に入ってチャプター1にまたホームとは何か書かれている。ホームとは、すでにある今この瞬間の気づきです。 気づきについては、注釈があり、注目とは異なって、注目の先が変わっても、変わらずに静止して動いなくて、そこにあってすべての人に開かれている。
こういうのを学んでいる人にとっては見慣れたというか耳慣れた言葉だが、普段耳にしていないときっと混乱すると思う。
何か神秘的なことでも、特別なことでもなく、それはいつもここにあるっていうような言葉が何度も出てくる。 非二元の本ではお馴染みのメッセージ。
この本では、いろんな人の言葉を代用しながら、すすめている。例えばトニー・パーソンズ。
自分でないものをことごとく発見し尽くしたとき、あなたの元には「気づきの空間だけが残っている。 ーアジャシャンティ
非二元のティーチャーたちのメッセージから私たちが、生まれてから、どのようにわたしという幻想に包まれてきたかを解き明かしていく。
この本の中には、ルミーやブッダやイエスの言葉もある。
そして自分の好きなアシュターヴァクラ・ギーターの言葉もある。
真我を知ると、すべての幻想は消える。ベールは払われ、視界はクリアになる。
この本では、自分の本性に気づくために、実験の方法がいくつか紹介されている。
なかでもダグラス・ハーディングの実験について紹介がある。
自分もダグラス・ハーディングの実験を記事に書いてみたいと思っているのだけど、言葉だけでは難しく絵や図を書くと思ったら面倒になってしまっている。 まあYoutubeに動画がいっぱい上がっているので見た方が早いし、わかりやすい。
後半について、タントラについて。
疲れ果てるまで愛し合いなさい、爆発しなさい。そして空白へ入り、気づきなさい 真実に!
ーヴィギャン・バイクラ・タントラ
神秘体験とかは瞑想したり修行したりせずとも、起こることがあり、その中でセクシャリティ、性的に男女が愛し合う方法も発見されてきた。
ちなみにタントラというと性的なものと思う人がいるが、必ずしもそうじゃない。タントラとは密教の修行でシヴァとシャンクティの合一(男性性と女性性)のエネルギーを扱う。 これは個人の中にあるもので、男女でセックスをするってわけじゃないんだが、タントラ=セックスという誤解があったりする。 このタントラの流れ、男性性=太陽 女性性=月 ハタヨーガが生まれている。タントラの面白いと思うのは、自分以外の他人である存在であるパートナーとの関係において自分の内側を発見するということではないかって思う。 他人は自分を写す鏡となる。
しかし、性エネルギーというのは強力で、タントラにて、自分自身の本性に気づこうとするとエゴを強化してしまう可能性が高いんじゃないかなと思う。
本に書かれていたことで興味深いこと。
ビジョンX・・・身体という牢屋に閉じ込められている
ビジョンY・・・自由で制限のない存在
いろんなところで語られているよね。私たちの本質は肉体ではなく、無限で自由な意識だっていう。そして、それを頭で知的には理解したと思ったり、瞑想したりして意識が広がった感覚があって、日常の暮らしの中で生きていて、苦しみは起きるし、何かが変わったのだろうかと探究のサイクルが続く人たち。
超越体験や神秘体験といわれる体験についても語っている。その体験によって洞察や明晰さを得る人もいるが個人的な体験でしかなく、結局のところエゴのツールでしかなく、どうでもいいという、まあ、自分はすごい体験をした人だっていう新しいストーリーを作り上げるのだろう。
この本の一部を取り上げさせてもらったが、ホームには誰もいない。 この言葉の自分の理解はホームとは今この瞬間にいること。 そこに誰か個人はいない。 私たちは個人としての自分が存在すると思っているが、ただ無限の意識が今ここにいるだけだから。
動画 私に訪れた覚醒体験と現実世界の仕組み|ヤン・ケルスショット
著者のヤンさんの覚醒体験についての動画があったので、最後に貼って終わりとさせてもらいます。
また他の本の紹介などもできればと思います。