サティヤーグラハと非暴力 ガンジーの自伝から

Social Change

偉人、聖人、非暴力・不服従、英雄、歴史に残る人物、マハトマ・ガンジー。 そんな偉大な人物の自伝ですが、読むとけっこう衝撃的だったりします。 ガンジーのイメージが破壊されてしまうかもしれません。 とくに欲、性欲について書かれたところは、ガンジーってそんな人だったのってそれは批判ではななく、偉大な人であっても人間であり、自分の欲に悩み、葛藤しつつ生きてきたことの正直な告白とも言えるかも。 

太陽と月、光と影、相反する世界を生きた彼が偉大な人物であったことは変わらない。

サティヤーグラハ 非暴力・不服従運動のマハトマ・ガンジーの活動の本質を現す言葉。 

「My life is my message」 

マハトマ・ガンジーの言葉として有名な言葉。

自分も好きな言葉だ。この言葉が言えるように生きたいって思う。

名言をいっぱい言ってるガンジーの言葉として、めっちゃ有名なこの言葉

”「Be the change you wish to see in the world.」

世界を変えたいなら、まず自分が変わりなさい。”

この言葉は実はガンジーが言った言葉ではなく、実際に言った言葉から変化してこの言葉になったという。

そして、ガンジーというと「非暴力・不服従」だったり、塩の行進とかの印象がとても強いんだけど本を読んでもっとも強く自分が感じたのは 「サティヤーグラハ」という言葉であり運動についてだ。

ガンジーの自伝では「サッティヤーグラハ」となっていたが、「サティヤーグラハ」と使われることの方が多いようなので、今回は「サティヤーグラハ」と書く。

この自伝では、ガンジーの人生の前半の自伝であり、有名な塩の行進については書かれていない。

サティヤーグラハ

サティヤーグラハとはサンスクリット語で、日本語にすると真理あるいは真実を把握するとか矜持する。

真実の把握みたいな意味になる。

自分が受け取ったのは、真実を掴みとるとか、真実を生きるとか、生き方とか在り方と感じた。

道徳とか正しいとか間違っているとか、ヒンズー教とかイスラム教とか宗教とか関係なく、生きることそのものへの問いであり、実験であり、運動なんだと思った。

そこにアヒムサ 非暴力というのは含まれるというか、密接に関わっている、ともにあると思った。

ガンジーは生活の中で、非暴力であり非殺生で、菜食主義で、物をほとんど持たず質素に暮らすように努めたり、アシュラム(道場)を作ってコミュニティで暮らしたり、チャルカ(手紡ぎ車)で自分たちの着る物を作ったり、それら全てがサティヤーグラハである。

アヒムサ 非暴力

アヒムサ 非暴力 自伝では非殺生と訳されているところもある。

アヒムサこそが、サティヤーグラハ 真実を生きるための力であり、暴力の反対といえば反対なんだが、積極的に自分を生きる力なんだと思う。

Ahimsa アヒムサはヨガの八支則の1つめのヤーマ (禁戒)という行わないほうが良いとされる5つの行為の一つ目でもある。

Ahimsa アヒムサ 非暴力 何事にも捉われない無敵な世界

プラフマチャリア

アヒムサ 非暴力とともにサティヤーグラハ運動で大切なのは、Brahmacharya ブラフマチャリヤという言葉ではないかと思った。

これは禁欲、主に性欲を言ってるんだが、食べることとか所有とかいろんな欲を少なくする。

シンプルにする。 プラフマチャリアもアヒムサに繋がっている。

ガンジーもプラフマチャリアを実現するために何年も何十年もかかった。

自分の欲というエネルギーが、我慢ではなくコントロールできて、使われる時に大きな力になる。

このエネルギーの変化にはとても興味がある。

普通の人からアクティビスト そして偉人へ

マハトマ 偉大な魂と呼ばれたガンジーだったが、若き日は普通の人だった。

かなり変人ではあったようだが。 性欲もあったし、お洒落もしたし、物欲もあった。

特に性欲についてはびっくりであり、本に書かれていないが偉大な指導者になったあとも性欲との戦いだったという。

菜食主義も宗教であり、親からの教えや約束で、嘘をついて肉を食べたこともあった。

自らの生き方の中で、菜食を選び、食べる物を自分の体で実験していった。

職業として弁護士を選んだのも、弁護士を目指していたとか人の役に立つとかではなく、イギリスに行って簡単に弁護士になれそうとかイギリスへの憧れがあったようだ。

様々な活動をしていくのも、南アフリカで人種差別にあってからで違う環境にいたら、あるいはタイミングが違っていたら、同じような活動をしていなかったかもしれない。

そしてインドの古き哲学 バカバット・ギーターとかを学び、真実を追求していく。

ヨガの聖典「バカヴァッド・ギーター」から学ぶヨガ哲学と生きること

真理を知ろうとする。 ガンジーが目指していたことの一つに解脱があった。

解脱、悟りであり真理の境地であり、ガンジーが生涯でそこに至ったのかは自伝ではうかがい知れない。

悟りを開く人は、ヒマラヤの奥地で仙人のような修行しているようなイメージを勝手に持っているが 自ら人前に出て行って行動する。

仏教の開祖である仏陀に通じるところがあるなあって思う。

コミュニティ アシュラム

コミュニティとかエコビレッジとか環境問題とかに関心がある人たちの多くが、そういう暮らしに憧れたりするんだが ガンジーのアシュラム 道場は、まさにコミュニティの先進で、暮らしに必要な物を自分たちで作って生きる。

これこそが「My life is my message」

という言葉が象徴されていると思う。

カースト制度で差別されている人たちとも家族として暮らす。

差別のない暮らしを自分が実践する。

ガンジーはアシュラムの場所を選ぶのも、人が来ない場所ではなく、社会の問題と対応するのに近い場所を選んでいる。

刑務所の近くは良い土地だって書いてあって、10回も逮捕されているガンジーは逮捕されることを前提に選んでいたのかもしれない。

ガンジーと言えば何度も逮捕されているというより、積極的に逮捕されるように作戦を練っている。

恐怖ではなく、愛を生きた人。 ガンジーを目指しているわけではないし、ガンジーもきっと何者かを目指そうとは言ってない。

ガンジーは自分ができることは他の人にもできるはずと、自らの体験を通して実験して人々に伝えていた。

自分の体験を通して生きること。

マハトマ 偉大なる魂に感謝をして。 インドに行きたくなります。

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