猫の妙術、(佚斎樗山 いっさいちょざん)かなり面白いです。4年前くらいに読んだ本のレビューを改めて書いています。 剣術指南本ですが現代に生きる人にも通じる一冊。 ヨガでもビジネスでもスポーツでもきっと役立ちます。
まずは本の紹介の一文。 現代風に翻訳されて書かれています。
『猫の妙術』は江戸中期に書かれた剣術指南本です。
その内容は「ネズミ獲りの名人である古猫が教えを説く」という設定ですが、
そこで語られる教えはきわめて深淵。
その奥深い教えを現代風の「新釈+解説」でわかりやすく紹介するのがこの本です。
私たちは人生のさまざまな場面で「勝負」に直面します。
そんなときに、緊張せず、ドーンと構えるためのメンタルの作り方を教えてくれる一冊です。
剣の道を極めようとする1人の剣術者が、なぜか猫と会話ができるという設定の物語。
ストーリーは、そこの家に白猫がいて、鼠が出たので退治を頼むが、叶わないので、近辺で鼠取りの技に優れているという黒猫に頼み、黒猫はいろんな技を使い鼠を退治しようとするが、かなわない。次に黒猫より大きな虎猫がいるということで虎猫は気で相手を飲み込むというが、ネズミの気に圧倒されて逃げてしまう。次に近所の長屋あたりにいる灰猫が、出てきて相手の心に寄り添って受け入れるというが、うまくいかなかった。 さらに剣術使いは自分で鼠を追い出そうとするが、鼠に圧倒されてしまう。次に武神と言われる古猫が登場して、古猫で動きも悪いが、のろのろと動いて鼠を咥えて外に出してしまい、鼠は逃げていった。どうして、簡単に鼠を捕まえられたのか、古猫に教えをこうというのが猫の妙術の物語だ。
技で解決する。テクニック勝負。技術だけではなんともならないことがあったり、なまじ技術があると技術にこだわってしまって上手くいかないなんてことあるなあって思った。 気合い、努力、根性、ガッツ、力技いろんな言い方がありますが、それでなんとかなることって結構あったりするが、空回りしたり、力入りすぎたりで、なんだかんだ上手くいかないことの方が多い気がします。 相手の心を読んで、コントロールする、心理テクニックって頭で考えて使うとたいてい気持ち悪くなってしまう気がする。
さて、古猫さまの教えは、技で勝とうとしていた黒猫には、技の見かけは妄想で、技の道理を知れと説きます。気で勝とうとする虎猫には、孟子の言葉から、「浩然の気」が本当の気の姿という。そして灰猫には、真の無形、真の調和、考えず、しようとせず、心の「感」に従って動くのだという。
Don’t think feel。ブルースリー先生が頭に浮かびます。
剣術者も、古猫に弟子入りなのか教えを乞う。
猫の達人ならぬ達猫の教えがツボにハマります。
「易」という古い書物に、真の占いの姿について「何も思わず、何も為さず、静かに動かないが、問う人を感じて天下全ての事柄に答えを出す」という一説がある。
新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道 佚斎樗山
敵も己もないととく古猫。 うん、そう無敵の世界、言葉にすると軽くなるけど、真理を抉ります。
心の形は妄想だという、どこかで聞いたことがありますよね。そうヨガの哲学ですね。心のあり方、仕組みを話する、江戸時代の本ですが、最先端の心理学そのものではないでしょうか?「心から決まりきった形さえ捨ててしまえば、世界はすべて自分のもの。」 という言葉を読み、また新しく形を作ろうとする自分に気づきます。パラドックスに落ちそうになる。
本の後半は解説があります。 猫の妙術の背景には中華の老荘思想、老子と荘子の思想があります。その思想は「無為自然」、この世の全ての現象を作り出すものを老子は「道」と呼び、あるがままを作り出すもの。荘子の思想は、「万物斉同」、全てのものは同じものだ。古来の日本の武術などには、「道」、中国からの老荘思想や、仏教などの影響がある。 ヨガやアーユルヴェーダなどを学ぶ中で古き教えのなかに現代の生きる知恵、先人たちが残してくれた偉大なレガシーに感謝して、自分の言葉にしていけたらと改めて思います。
他にも本のレビューや感想書いています。
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