NVCから社会変革 その1 何を変えるのだろうか?

社会変革 NVC 非暴力コミュニケーション

社会変革なんて言葉を聴くと、おおって何だか重たく感じちゃうのは自分だけでしょうか? 

NVC 非暴力コミュニケーションは個人的な癒しや問題解決だけでなく、Social Change(ソーシャル・チェンジ 日本語だと社会変革)が大事なテーマとされている。

民族間の対立、宗教、国家、人種差別、ジェンダー、戦争、様々な争いや対立を解決するツールとして使うことを創始者のマーシャル・B・ローゼンバーグは願っていたという。

マーシャルが2005年にスイスでのリトリートで話をしていたというメッセージがある。

If I use Nonviolent Communication to liberate people to be less depressed, to get along better with their family, but not teach them, at the same time, to use their energy to rapidly transform systems in the world, then I am part of the problem. I am essentially calming people down, making them happier to live in the systems as they are, so I am using NVC as a narcotic. 

翻訳文はつけないけど、短くまとめちゃうと「NVCを使って人を解放したりしていても、世界のシステムを変えるためにエネルギーを使うことを教えなければ、現状のまま変わらなくて、NVCを麻酔薬として使っているだけだよ! 」 

それでは社会変革というのは何を変えようっことなのだろうか。原子力発電所の前で、沖縄の米軍基地の前で何かができるのだろうか? 実際に行ってみたとき自分は社会の構造の中の圧倒的なパワーとエネルギーに対して、言葉にできない嘆きをただただ感じた。 

マジで何ができるのだろうか?  

NVCで何をどう変えて変革するのか?

自分が受け取っている社会変革は現段階では、”正しい、間違っている、どっちが善い悪い、勝つか負けるか、報酬か罰かといった評価”する社会を、「今この瞬間に何を必要として、何を大事にしているかに注目して耳を傾ける」社会への変革。

非暴力コミュニケーションのプロセスの3つ目であるNeeds(ニーズ)。

ここまで書いて、NVCのプロセスである観察、感情、ニーズ、リクエストについて今まで一切触れずに、ニーズに飛んできたと気づく。

社会変革への行動の動機として、自分の痛みや欠乏感からの反応ではなく、どんな世界を生きたいのか、自分の中にある全体性や心から湧き上がってくる共感(エンパシー)や慈愛(コンパッション)からの行動、リアクションではなくアクションであることが大切ではないかと思う。

さて、こんな疑問が沸く人がいると思う。みんなが自分が必要なものを言い出したら、結局資源とか足りなくなってしまって争いが起きるのではないか? ニーズを大事にするって綺麗事ではないか? 本当にできるのだろうか?

この疑問への回答は自分も持っている訳ではないが、NVCでの社会変革と同じくらい核なっているNVCの精神性(スピリチュアリティ)にヒントがあるように思っている。スピリチュアリティの話は、また別の投稿をしたいと思っているが、痛みや欠乏感から全体性への意識の変化ではないだろうか。

投稿を読んでのフィードバックもぜひ、欲しいと思います。

*この記事は、2年くらい前にnoteに投稿したものを少し修正して掲載しています。

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コメント

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