noteに書いていた記事をこちらに直しながら移動していくことにした。一つ目はこちら。
すでにいっぱい書いているが、NVCと呼ばれているものを学んで約7年。
2014年の最初の学んでから、2年後の2016年に学びの火がついて、住んでいた石垣島から、沖縄本島、大阪、東京、千葉、熱海など日本の各地で行われたワークショップやリトリートに参加した。
それだけでは物足りず、今や誰もが知っているZoomがまだ知られていなかった2016年、ほぼ毎週オンラインで誰かと繋がり、練習したり勉強しつつ、2017年には自分でもオンラインだったりカフェだったり、いろんな場所でNVCのワークショップをやるようになった。
大人になってから、こんなにも夢中に何かを学ぶなんて、思わなかったが、学んでいるという感覚より、Live、生きることそのものだった。
そんなにもハマったNVCについて、書いていきたいと思う。
NVCとはNonviolent communication の略だ。日本語にすると非暴力コミュニケーションとなる。
共感的コミュニケーションとか共感コミュニケーションと呼ばれていたりする。また、おもいやりのコミュニケショーンとか与え合いのコミュニケーションと言われていたりもする。
非暴力、暴力に非ず。名前は非暴力コミュニケーションだが、そもそも非暴力自体を目的としていない。
NVCは心理学に分類されるが、心理学であって、心理学ではあらずか、哲学や世界観があり、コミュニケーションの手法でもあり、紛争解決などのツールでもあり、人の在り方、Beingでもあると言われる。
非暴力コミュニケーションは、「人が自然と誰か他者(人間とは断定していない)のために、喜んで与えたり、分け合う関係性にたどりつくこと」
を目的としている。 そこにはNVCの創始者であるマーシャル・B・ローゼンバーグ博士の強いパッションが込められていると思う。
NVCはマーシャルが2つの問いを探求することで生まれたと言う。
その、一つ目の問いは、
「人はなぜ暴力的になれるのか?」
なぜ、人はあらゆる場面でコンフリクト 対立は起こるのだろうか?
そして、もう一つは強制収容所のような過酷な状況にあっても、
どのような状況でも人を思いやる気持ちを持った人たちがいるのはなぜだろうか?
マーシャルは、子供だった1943年にミシガン州のデトロイトに引越しした直後に人種間の争いにより、40人以上が死者がでる暴動が家の近くであり、その直後に学校でユダヤ人であるという理由で同級生に殴る、蹴るの暴力を受けた2つの経験から、長年その2つの疑問を持つようになったという。
その2つの疑問を持ち続けたマーシャルは長年研究をしてNVCのプロセスにたどりついたという。
私がNVCを学んでいくなかで、この2つの問いが、とても大事だと思っていて、この文を読んだら「なぜ人は対立するのだろうか?、暴力が起きるのか?」、「なぜ、どんなときでも思いやりを持てる人がいるのだろうか?」この2つの問いの奥深くに非暴力コミュニケーションの種があるのではないか、その問いを自分に問いかけてみてもらえたらと思います。
この文は自分の言葉に置き換えて書いているので、実際にマーシャル・B・ローゼンバーグが使っていた言葉と違っています。興味を持ったら、 「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」を手にとってみてもらえたら嬉しいです。 https://amzn.to/2SPA8Jm
続きはこちらから NVC 其の2 人は本来は誰かのために与えるのが好きって知ってた?
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