Yoga Sutoras of Patanjali パタンジャリ先生のヨーガ・スートラについて、久しぶりに書いてみる。
yogaś-citta-vr̥tti-nirodhaḥ
ヨーガ・スートラの1章2節のヨーガ チッタ ヴリッティ ニローダハ 、心(チッタ)の作用を死滅(制御)することが、ヨーガであるという。その方法には2つが必要だということが書かれているのが、1章の12から14になる。
スワミ・サッチダーナンダ著のインテグラルヨーガ新刊の日本語訳と現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著の2冊の解説を取り上げて比較していきます。
Sutra 1-12 アビャーサ ヴァイラーギャービャーム タンニローダハ
अभ्यासवैराग्याभ्यां तन्निरोधः॥१२॥
abhyāsa-vairāgya-ābhyāṁ tan-nirodhaḥ (12)
これらの心の作用は修習(アヴィーアーサ)と離欲(ヴァイラーギア)によって止滅される。
インテグラルヨーガ新刊の日本語訳
スワミ・サッチダーナンダ著
これらの心のはたらきの止滅は、実践と離欲によって起こる。
現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著
Sutra 1-13 タトラ スティタウ ヤッノービャーサハ
तत्र स्थितौ यत्नोऽभ्यासः॥१३॥
tatra sthitau yatno-‘bhyāsaḥ (13)
これらの二者のうち、心に不動の状態をもたらそうとする努力が、修習(アヴィーアーサ)である。
インテグラルヨーガ新刊の日本語訳
スワミ・サッチダーナンダ著
実践とは、止滅の状態にとどまるための努力である。
現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著
Sutra 1-14 サトゥ ディールガカーラ ナイランタリャ サトカーラーセヴィト ドルダブーミヒ
स तु दीर्घकालनैरन्तर्यसत्कारासेवितो दृढभूमिः॥१४॥
sa tu dīrghakāla nairantarya satkāra-āsevito dr̥ḍhabhūmiḥ (14)
修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣さをもって励まれるならば、堅固な基礎を持つものになる。
インテグラルヨーガ新刊の日本語訳スワミ・サッチダーナンダ著
実践は、長い間、中断することなく、心を傾けて行って初めて堅固な状態になる。
止滅の状態にとどまるための努力である。
現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著
Sutra1-15 ドルシュターヌシャラヴィカ ヴィシャヤ ヴィトルシュナスヤ ヴァシカーラ サンニャ ヴァイラーギャム
दृष्टानुश्रविकविषयवितृष्णस्य वशीकारसंज्ञा वैराग्यम्॥१५॥
dr̥ṣṭa-anuśravika-viṣaya-vitr̥ṣṇasya vaśīkāra-saṁjṇā vairāgyam (15)
見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が無執着(離欲)ヴァイラーギャである。
インテグラルヨーガ新刊の日本語訳スワミ・サッチダーナンダ著
離欲とは、見たり聞いたりする対象に対して欲望を持たないことを習得することである。
現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著
Sutra1-16 タッパラム プルシャ キヤーテー グナ ヴァイトルシュニャム
तत्परं पुरुषख्यातेर्गुणवैतृष्ण्यम्॥१६॥
tatparaṁ puruṣa-khyāteḥ guṇa-vaitr̥ṣṇyam (16)
プルシャ【真の自己】を実現することによって、グナ【プラクリティの構成要素=サットヴァ・ラジャス・タマス】に対してさえ欲望が失せてしまったなら、それが極上の無執着ヴァイラーギャである。
インテグラルヨーガ新刊の日本語訳スワミ・サッチダーナンダ著
最高の離欲とは、意識を認識することから起こり、グナの現れに対する渇望がないことである。
現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ著
個人的な簡単な解説
心(チッタ)の作用は修習(アヴィーアーサ)と離欲(ヴァイラーギア)によって止滅できるという。修習は心の作用を止めるための努力を惜しまず時間かけで、じっくりと取り組むことを示しているのではないだろうか。
離欲とは、ただ欲望から離れるだけではなく、見たり聞いたり、外側の世界の対象に対する欲から離れていくこと。自動的に思考が回る反応。
そこから離れるのは、思考に気づいて思考と一体化しないこと。昨今の言葉だとマインドフルネス。気づき。グナというのはヨガでは世界で存在しているものは3つの性質があるとされる。この世界がグナが形になった表れているという。離欲というのは世界を構成しているものからも自由になるというような意味で言ってるのではと思う。 もうちょっと簡単に言うと私たちの世界は望んだことが現実化している。しかし、人間関係であれ仕事だろうが、豊な生活、あるいは健康な体、全ては変化していずれ手放す。それらを受け入れること。 受け入れるって頑張って受け入れるというか、生命の流れのままに生きることではないかと思う。そして、いずれ手放すのだが、心(チッタ)を止める努力をするのがヨガなんだと思う。
パタンジャリのヨーガ・スートラを学ぶ 1章1節 Atha アタ
ハタヨーガの開祖が示す教典 ゴーラクシャ・シャタカ サンスクリット語全解について
ヨガのアーサナの本当の意味とは? アーサナとは神様と繋がること?