サンスクリット語の原点から学ぶというところに、なんか萌えるポイントがある。 般若心経をヨギーの視点で解説と、仏教の実践であるアーナパーナ・サティについて解説している真下先生の著書。 2年半前に買って読んだのがやっと今頃になって感想を書いてます。
序文からキレキレで、原題の意味から。
原題の「プラギャー・パーラミター・フリダヤ・スートラム」の中心は、「私とは何か、この世界とは何か、それらは、どのようにして顕れるのか、またこの実体は果たしてあるのか」といったことです。
5ページ 序
ヨギー的な問い、ラマナ・マハルシの「わたしは誰か?」という言葉、あるいはシャンカラの「あなたは誰ですか?」
この本では、日本での般若心経は漢訳で読まれているが、サンスクリットと漢訳を対比して意味を知ろうと試みている。
漢訳 | 読み | 意味 |
般若 | プラギャー | 智慧、気づき |
波羅蜜多 | パーラミター | 心のレベルを超越した |
心 | フリダヤ | 精髄 |
経 | スートラム | 教典 |
もうタイトルがめちゃめちゃ美しくて、堕ちます。
ブッディズムでは、縁によって起こる。または、ある結果は、すでに原因として最初から含まれていたものとして説明されます。いわゆる縁起説であり、因中有果論です。
16ページ
縁起論が出てきました。ここで仏教は因中有果論だと著者は言っています。あっているのでしょうか? これってサンキーヤ学派の思想のように思います。 先日、シャンカラの本について書いているのですが、そこで触れました。 どなたか、分かる方いたら教えて欲しいです。
五蘊(ごうん)
般若心経では5つの基盤となる柱として五蘊(ごうん)色、受、想、行、識がある。 有名な色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)。
漢訳 | 読み | 意味 |
色 | ルーパン | 形あるもの |
受 | ヴェーダナー | 認識作用 |
想 | サンギャー | 名付け、想念 |
行 | サンスカーラ | 記憶の蔵 |
識 | エーヴァムエーヴァ | 私、エゴ |
エゴがどのように構築されるかをシンプルに短い文章で、現象世界をこのように捉えて説明してることにフルえるよ。
インド哲学には、6つのダルシャナ(哲学)がある。サーンキヤ、ヨーガ、プールヴァ・ミーマーンサー、ヴェーダーンタ、ニャーヤ、ヴァイシェーシカで、これらがヴェーダを基盤にしたアースティカで、ヴェーダを認めないナースティカが、ブッディズム、ジャイニズム、チャールヴァーキズム(唯物主義)がある。ブッディズム(仏教)ではブラフマンを認めていない。
サンキーヤとヨーガでは、プルシャは不動で不変で、プラクリティの3つのグナの均衡が破れることで世界が展開していく。ヨーガ(調和)からヴィヨーガ、ムーラプラクリティからマハット(ブッディ)からアハンカーラから5つの感覚機関と心と5つの行動機関と5つのタンマートラが展開する。ヴェーダーンタではたった一つのブラフマンだけが実在している。
ヨーガスートラは八肢のヨーガだが、「マイトリー・ウパニシャッド」での六肢のヨーガ。
プラーナヤーマ、プラティヤハーラ、ディヤーナ、ダーラナー、タルカ、サマディーの6つで、著者の考察ではタルカを削除して、ハタヨーガからアーサナをブッディズムからヤマ、ニヤマを加えたのではと推論している。 タルカとは論理という意味。ちなみにハタヨーガも六肢のヨーガ。ただヨーガ・スートラが編纂されたのが4、5世紀とされて、ハタヨーガの開祖ゴーラクシャ・ナータは11世紀ごろの人という説で、ハタヨーガの方が時代としてはあとなのではないのだろうか? それとも、何か他に根拠があるのかもしれない。
ヴェーダーンタのダルシャナについて、「ブラフマ・スートラ」から引用されている。
ブラフマンが、この世の根源である。 ブラフマ・スートラ(1.1.2)
59ページ
そして自分が勝手に我が師匠と呼んでいる、アーディ・シャンカラにニルヴァーナ・シャタムという6つの詩句のダルシャナ。
1.私は、心でも、ブッディでも、アハンカーラでも、チッタでもない。耳でも舌でも、鼻でも、眼でも、水でも、地でも、火でも、風でもない。永遠の幸せ(サット・チット・アーナンダ)、シヴァが、私だ。 ー ニルヴァーナ・シャタム
67ページ
そして、ラマナ・マハルシ。ヴェーダのダルシャナとは無関係で真理を悟った人。
私という想念と世界は、共に起こり、同時に消える。従って、この世界は、私という想念によって顕れる。現実とは、私という想念と世界の所在地なのだ。真理は、一つ。完全で、誕生も消滅もない。 「ウバデーシャサーラ」
76ページ
誕生も消滅もない、OSHOことラジニーシが同じようなことを言ってるのは何かで見たか読んだ。 「あなたは、生まれもせず、死にもしない。」その言葉がとても印象的だった。
そして般若心経について、「イーシャヴァースヤ・ウパニシャッド」の詩句との比較から、ヴェーダを本流とするアースティカも、ブッディズムも真理は同じことを言っていると著者は伝えてくれています。 ヨガ哲学とか学んでいると、矛盾があちこちあったりで混乱するが、それは言葉にできないことを言葉で伝えようと工夫していたためだったり、相手の状況に応じて伝える言葉を変えていたため、受け取る人にとって変わってしまうのだと思う。 真理はひとつ。
気づきの実践法として釈尊の述べて方法、八正道の「正念」、英訳ではmindfullness(マインドフルネス)で、ひとつが「アーナーパーナ・サティ」、もうひとつがヴィッパサナ(歩く瞑想)。
呼気と吸気の2回の隙間は、空(から)の映像のコマであり、心=私(想念)の無い状態、ニルヴァーナであり、瞑想であり、空(くう)そのものです。
96ページ
この本のなかで自分が一番好きな言葉がここです。すっかり真下先生のファンになってしまった。 呼吸と呼吸の間、空間、隙間、言葉にすると見失ってしまう感覚について、さらっと書いてあることに惚れちゃいます。
心と呼吸には、それぞれ思考力と活性エネルギーが付与されている。これらは、1つの樹より分かれた2つの幹である。 「ウバデーシャ・サーラ 12」
107ページ
心と呼吸は同じところからきている。
この本はサンスクリット語も書かれていて、カタカナでの読み方も書いてくれていてサンスクリットを勉強したくなりました。 漢文で意味不明な般若心経についての訳もとてもわかりやすいです。 朗読して動画にしてアップしようかと思っています。
真下先生の他の本の感想も書きたいと思います。
この本の般若心経の和訳を朗読してますので、聞いてみてください。