世のスピリチュアルな人たちは、ワンネスなんて言うがヨガの哲学では、一元論、非二元論か二元論かという意見で議論されていたりする。
インド哲学にはシャド・ダルシャナ(六派哲学)と呼ばれるものや仏教やジャイナ教など様々な教えがあるが代表するものの2つがサンキーヤとヴェーダンタと呼ばれる。
ヨギーのバイブル パタンジャリのヨーガ・スートラは二元論(多元だと言われる。ヨーガ・スートラはラージャヨーガの教典で、アシュタンガヨガ(現在の体を動かすヨガのアシュタンガヴィンヤサヨガではない)という体系があり、ヨーガ・スートラの元となったサンキーヤ哲学では、いわゆる世界はプルシャ(純粋意識とか精神原理、見るもの、真我)とプラクリティ(物質原理、見られるもの)の2つで構成されているという説。
一方で現代のインド哲学の主流であるヴェーダンタ学派はアドヴァイタ(不二一元論とか非二元論)。不二一元論と非二元もおそらく違うが、それはおいておいて、なぜ不二一元や非二元なのかアド(非とか不)で ヴァイタとは、2を意味する。2つでない。非二、不二。 2つに分離していないから1つでしょ一元論となるのかならないのか。
ヴェーダンタではアートマン(真我、個人意識)とブラフマン(宇宙、神みたいなの)は同じだとされる。 これはインド哲学史上で、最高の人物シャンカラによってまとめられて、彼の登場によってインドから仏教もほぼ消えたとされる。 シャンカラの思想は仏教の影響が強いとされシャンカラは仮面の仏教徒なんて言われてたりもする。 仏教では真我(アートマン)も否定しているという説や、否定も肯定もしていないという説もある。
そして体を動かす現代のハタヨーガはどういう哲学かというと、アドヴァイタ(不二一元論)だと言われる。
それでいてハタヨーガの教典「ハタヨーガ・プラディーピカー」ではハタヨーガはラージャ・ヨーガへの道だよ。」って言ってたりする。
ヨーガスートラを西洋に紹介した現代ヨーガの父ともされるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、ヨガには4つの道があると言い、そんなヴィヴェーカーナンダは、ハタヨーガなんてヨガじゃないって言っていたとか。
こういう話だけ聞くとどんどん混乱しますね。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナのお弟子さんで、ラーマクリシュナはバクティヨーガを好んだいう。
バクティヨーガといえば「ハレ・クリシュナ・ハレ・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレ・ハレ・ハレ・ラーマ・ハレ・ラーマ・ハレ・ラーマ・ハレ・ハレ」というマントラが知られている。
タントラ密教の流れからのハタヨーガは、陰陽、太陽と月、内側と外側、男性性と女性性、これらを合一、一つにする。」ヨガ教典 ハタヨーガ・プラディーピカーの第1章
現代ヨーガはどっちなんだよっていうと、ぶっちゃけ多くのヨガの先生は興味持っていない、関心がない。 指導者を育てている人たちは、どうなのかっていうとヴェーダンタを採用しながらヨーガスートラのアシュタンガ(流派ではなく8段階のヨガ)を採用して、どっちも一緒だよ、なんて知っているのように話している。 本当に知っているのかもしれないが、どうなのでしょうか?
ヨーガの哲学に興味を持って学び出すと必ず、そういった疑問にぶち当たる。そんなこと現代に生きていて大したことじゃないかもしれないが、気になり出すと学びは止まらない。
ちなみに現代の覚者と言われるラマナ・マハルシや、そのお弟子さんの系統であるムージなどもアドヴァイタの教えだと言われている。
最近、ラマナ・マハルシの本を読んだが面白かった。現代の非二元(ネオアドヴァイタ)ブームでたくさんの本が出ていて、それはそれで面白いが質が違うなあと最初からこっちを読むことをオススメしたい。
二元論でも、一元論、不二一元論でも、真我に気づく、目指すのは同じで、そのプロセスと、その先が異なっている。 仏教は、また異なるようだが、私と思っている体や心は本当の自分ではないと気づいて、自由になる、解放されること。健康法やストレス軽減で、ヨガのポーズや瞑想を行うのもありだが、ヨーガの哲学に関心を持つともっと楽しくなるはずと思う。
これを読んでくれたみなさまが、心の静けさとともにありますように。
パタンジャリのヨーガ・スートラを学ぶ 1章1節 Atha アタ
ハタヨーガの開祖が示す教典 ゴーラクシャ・シャタカ サンスクリット語全解について
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