ヨーガの樹 B.K.S.アイアンガ―著 

The Tree of YOGA ハタヨーガ

近代ヨガの巨匠のひとりであるB.K.S.アイアンガー師。訳者は吉田つとむ氏。 The Tree of YOGA.

訳者の序文にてアイアンガー一族は南インドのシュリー・ヴァイシュタナヴァ派、ヴェーダーンタ学派のラーマヌジャを信奉するヴィシュヌ派の一員とある。制限不二論(ヴィシシュタ・アドヴァイタ)が基盤にあるという。制限不二論、インド哲学にはいろんな思想があって、混乱します。 シャンカラの不二一元論を否定して、ブラフマンとアートマンは同一ではないといい、アートマンはブラフマンの一部で世界はマーヤーではなく実在し、神への信仰や祈りによって解脱するというような教え。 ヴェーダーンタだけどヨーガ学に近いような印象を受けます。

アイアンガー師の師匠は、T・クリシュナマーチャール師(クリシュナマチャリア)で、T・クリシュナマーチャール師はネパールでラム・モハン・プラフマーチャリからヨガを学んだとされる。T・クリシュナマーチャール師は、西洋式の体操とヨーガの体操を組み合わせて、「ヨーガ・ヴィニヤーサ式」(身体の動きと呼吸のリズムを連動してフローをつくる)、現代でのアシュタンガヨガに代表されるヨーガを当時指導していて、アイアンガー氏も当初はそのようなヨーガを指導していたが、徐々に個々人の状態に合わせた療法ヨーガのスタイルを確立していったという。 序文には他にも興味深いことが書かれている。

近代のヨーガの第一人者であるアイアンガー師の著作が読めることに感謝したい。 アイアンガー師の著作、ヨガ呼吸・瞑想百科についても以前ブログを書いています。 ヨガ呼吸 瞑想百科 プラーナによる心身バランス回復 B•K・Sアイアンガー著 沖正弘監訳 

ヨーガとは、身体と心の合一であり、さらには心と魂の合一である、ということである。

第一部 ヨーガと人生

ラージャ・ヨーガとか、カルマ・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、すべてのヨガはひとつだという。区別することに意味がないっていえばない、ヨーガはヨーガなんだ。 ヨーガ・スートラとハタ・ヨーガ・プラティピカーという2つの古典の言葉を引用しながら、ヨーガをあらゆる面で説明されている。ヨガ呼吸・瞑想百科でも両古典の引用が多くされていたので、アイアンガー師の思想が垣間見えてくるようです。

ヨーガ・スートラや、ハタヨーガ・プラティピカーについての記事も書いてますので、興味ある方はチェックしてみてください。

本のタイトルのヨーガの樹は、八支則を樹に例えている。

樹の根 ヤマ 5つの原則 アヒムサ(非暴力)、サティヤ(真実)、アステーヤ(盗みをしない)、プラフマチュリヤ(享楽の制御)、アパリグラハ(必要以上の所有、渇望をしない)

幹 ニヤマ シャウチャ(清浄)、サントーシャ(知足)、タパス(苦行)、スヴァディヤーナ(自己学習)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自己の献身)

枝 アーサナ

葉 プラーナヤーマ

樹皮 プラティヤハーラ 制感

樹液 ダーラーナー 集中

花 ディヤーナ 瞑想

果実 サマーティー 

アイアンガー師は、出家したヨガ業者ではなく家庭を持ち、ヨガを教えていたが生活が苦しくて何日も食事せずに水だけ飲んでヨガの練習をしていたという話などもあり、そんな状況でもヨガを練習していたのは感謝からだったという。 練習をサボってしまいたくなるのは誰でもあるだろうけど、どんな時も続けていくことの大切さに気づくエピソードです。

幹であるニヤマのうちの3つ、タパス(苦行)をカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)、スヴァディヤーナをジャニャーナヨーガ 精神的識別のヨーガ、イーシュヴァラ・プラニダーナをバクティ・ヨーガ 献身のヨーガとしていて、これは他の人が言っているのかはわからない。

さまざまな視点からヨガの話を展開されていて、ヨーガとアーユルヴェーダについても触れています。

両者の違いが書いてあったので表にしてみました。

  ヨーガアーユルヴェーダ
自己実現の方法心理・精神的身体・生理的
病気の原因心(citta)の振動身体の構成要素のアンバランス
神経系を流れるエネルギーオージャス(ojas 力、光)テージャス(tejas 輝き)
病の治療自らの意思力、潜在力を使う強壮薬を使う
出発意識肉体

ヨーガの指導についてなども書かれていますが、指導者向けのテキストというわけではないし、病気などへの治療についても書かれているが、医療者向けの本でもない。あくまでヨギーとしての実践として書かれていると思う。パタンジャリのヨーガ・スートラについて書かれているところで、第3章の超能力的なことが書かれていることに、ヨーガの実践者が実際に習得できる能力であるが、その力に執着すると修行の妨げになるというよう。 ヨーガの超能力的な話というと、ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」が有名だけど、そういうスピリチュアルな能力を目指すのは目的ではないんだよね。

プラーナヤーマについて気になるところがあるので、メモとしてシェアします。5大元素とプラーナ、呼吸について。

私たちの体には5つの元素がある。命(prana プラーナ)の霊薬の生成に預かる元素は地である。風の元素は吸息と吐息を通して攪拌棒として用いられ、分配はエーテル(虚空)の元素をとおして行われる。エーテルは空間で、その性質は伸び縮みできることがある。

クンダリーニエネルギーについて。

プラーナーヤーマの実修で、我々は呼吸を非常に長くする。このようにして、火と水の元素は一つになり。風の元素の助けを得て、体の中で火と水とがこのように接触することで新たなエネルギーを放出する。ヨーギーが聖なるエネルギー、すなわちクンダリニーシャクティ(蛇の力)と呼ぶもので、これがプラーナエネルギーである。

ウパニシャッドからの言葉もあります。呼吸イコール心。

「プラシュナ・ウパニシャッド」は、意識とプラーナは双子の兄弟であるという。同様に「ハタヨーガ・プラディー・ピカー」も、心のあるところに呼吸があり、呼吸のあるところに心があるという。

横隔膜を生理的身体とスピリチュアル身体の合流点ということが書かれている。もうちょっと深掘りしたいところです。

プラーナーヤーマは物質世界と精神世界のあいだの境界にあり、横隔膜が生理的身体とスピリチュアル身体の合流点である。

瞑想について。思考と思考の間に空間、スペースがある。そのわずかな瞬間に静寂がある。この瞬間のスペースが広がったらと思うが、そう思うと思考が動く、そのことを言葉にする人があまり見たことがなかったのだが、この本の中で発見した。

思考の静止と思考の出現とのあいだのスペースが受容性のときである。この瞬間に静寂状態があり、思考の停止と思考の出現とのあいだのスペースを広げることができる人はいわゆるサマーディ状態の経験へと変容される。

33 瞑想の性質

イダとピンガラ、クンダリニーエネルギーについてイダとピンガラが合一、バランスによってスシュムナーにクンダリニーエネルギーが流れる。努力しても恩寵がないと無駄で、恩寵はいつやってくるか、わからないから日々実践して、準備をしておく必要があると言います。

イダーida 副交感神経系 チャンドラ 月のナディー 脳底から下降 陰エネルギー 

ピンガラー pingala 交感神経系 太陽ナディー 太陽神経叢から上昇する 陽エネルギー

スシュムナー susumuna 中枢神経系 クンダリニー 生理学的には電気エネルギー

この聖なるクンダリニーは樹の果実で、それはあなた自身の練習と神の恩寵に依存する。それ故努力してそれを達成し、やってきたら、それを堅持せよ。神の恩寵なしに聖なる力は覚醒し得ない。

努力する。しかし結果に拘らない。結果は恩寵による。 見返りを求めない奉仕。 結局のところ、行き着くところは、結果は手放し、ただ実践するのみなんだ。 ヨガの教えは努力はするが、果実を求めるのでない。 そもそも、それを求めるということは自分の内側にある。 内なる宇宙の中に外の宇宙と繋がっている。ひとつである。 手放すということは、本来じぶんたちは完璧な存在ですべてを今ここに持っている。あるってことに気づくことなのかもしれないとか思った。

ヨーガ指導者にむけたような厳しい言葉もある。 アイアンガー師のクラスにはヨガ指導者も多く来られていたが、自分の練習をしないで教えていることがわかるという。自分自身のために練習をしない人は指導をやめるべきだと言います。 まさにそのとおりだと思う。 以前に何かで見たのだけど、ヨガインストラクターの半数以上が、日常で自分の練習はしておらず指導しているという。(*今度ソースを見つけたらリンクを貼りたいと思います。) 日々練習するのは当たり前のことじゃないかなって思う。指導者認定証についても、あまり価値がないとバッサリと言っています。 現代のヨーガ社会は指導者養成講座というビジネスでお金を稼ぐというスタイルになっていると言います。 1日で資格が取れる講座とかもあります。 自分もいろんな講座受けてきて、素晴らしい先生、素晴らしい講座もいっぱいあります。 その中で資格と指導することはイコールではないと思う。 当たり前ですが全ての人が違う、異なる個性を持っている。骨格、筋肉、性格、求めているニーズ。 生徒さん一人一人のニーズに寄り添うこと、相手の心の声に耳を傾けること、そして100%理解することは難しいが、理解しようと努めることや、だからと言って本質からずれないようにすること。

本のなかの一部を紹介させていただきました。 アイアンガー師の「ヨーガはひとつ」であるという思想をもとにヨガを探求して指導されていたということが、この本をとおして伝わってきました。 ヨーガの哲学の中で学ぶと出てくる矛盾、ヨーガ・スートラはヨーガ学派の思想で、ハタヨーガはタントラ思想があり、学んでいると混乱が起きる。 ヨーガを学ぶ中で迷ったり、悩んだりした時は実践すべしというのを改めて思いました。心から、魂から感謝をしたいです。 Namaste.

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