人は本来、生まれ持って思いやりがあって、他者へ他の生物に対して与えることが好きで、NVC 非暴力コミュニケーションを学ぶことは新しいことを学ぶというよりも、ありのままの本当の自分を思い出すことにある。
ありのままであるその時、人と人は自然と与え合い、分け合う関係性になる。
これがNVCの核となる世界観。 自分そのように理解している。
この世界観を感じて、理解して、腑に落ちて、信じて、共有していくこと、世界観の前提が他者との関係、社会との関係、様々な関係性のなかでとても大事になってくるのではないだろうか。
社会では様々な問題と言われていることがある。
戦争、環境問題、差別、貧困、ジェンダー、食料危機。 今日の食べ物さえ手にするのが困難な人たちがいる一方で、少数の人が富を独占しているという状況がある。
自由や平等、平和、民主主義という言葉が使われてはいるが、苦しみや争いで世界はとてもアンバランスな歪みがあるようにも見えないだろうか。
この社会は、競争があるのが当たり前という世界観になっていないだろうか?
より多くを持った人が勝者。お金、土地、物。
より高い地位を得ること。 出生、学歴。 他人より偉く。個人だけでなく、企業なら、より利益を得る会社になることだったり、国家であっても同じように。
数千年という長い年月を人は競争、争いのなかで生きて繋いできた。このパラダイムには、とても鍵となるのが、「分離」という認識、概念ではないか。
「私」と「あなた」。「自分」と「自分以外」。 自分の物とかの所有という概念も自分と他人という分離した概念がなければないだろう。
私の物、私のお金、私の土地、私の経験、私の名前、私の身体、私の心、私の何かという物に、常に何かと自分が別れている分離した世界がある。
この分離した世界観を二元論と言う。
分離していない全てが一つであるということを不二一元論とかアドヴァイタ、最近の言葉では非二元と言ったりする。
スピリチュアルな言葉だとワンネスなどと言われる。
NVCの世界観は分離した世界観から、つながりや統合した世界観への気づきであり、パラダイムシフトへとつながっていくのではないか。
世界観を今すぐチェンジしようって言ってるわけはなく、私とか自分とかの個人的な体験から見ていた世界から、ちょっと揺らいで見てみると何かが少し見え方が変わってくる。
今、あなたが嫌いだと思っている人も、誰かのために与えたいという強い気持ちが心の奥から見えてくるかも?
*この記事は、以前にnoteに書いた記事を修正してこちらに書いています。
前回の記事はこちらから NVC 其の2 人は本来は誰かのために与えるのが好きって知ってた?
NVCについて、こちらも読んでみてください。 YOGAとNVCの精神性 非暴力 アヒムサを繋いでみる
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