雪がチラつくほどに寒かったりも、毎日少しずつ日が出ている時間が長くなって、春が近くなっているのは感じるこのころ、たまにはブログっぽく近況を書いてみよう。
いったいどういうことなんだろう?
昨日までと何も変わらないはずの景色が、
なんだかただただ美しく、木々や植物、人がとても愛おしく、愛に溢れている。
無機質なコンクリートの建物も、全てが調和のなかにある。
ワンネスとか世界が一つとか、思考じゃなくて、世界は宇宙はひとつなんだ、ただ美しく
すべてが完璧なんだ、自分自身も。JOYがありハッピネスがあり、Compassionがある。
ついに、俺は頭が狂ったのか、それとも何かスピリチュアルな目覚めてしまったのか、もうすぐ死んじゃうのだろうか、自分はどうなってしまうんだろうか?
そんな不思議な感覚が始まったのは、2017年の秋に参加した非暴力コミュニケーションの国際集中トレーニングに参加して終えてからだった。
NVC Japan IIT 2017 国際集中トレーニング参加の振り返り
そこから自分の内側の世界への探求が数ヶ月続いた。
何かを思考をはじめたら頭はぐるぐる回るし、ただ感じてみれば、感覚をいくらでも味わえるし、肉体を持って生まれたことは、なんて多様な体験をできるのだろう。
去年の春に約4年暮らした沖縄の石垣島を出て、1年近く神奈川県の横浜をベースにNVCのワークショップを開催したり、南伊豆の方に2ヶ月いたり、インドのリシケシに一ヶ月ちょっと行ってヨガのTTCを受けたり、できるだけ自分の心の声に赴いて動くようにした。
インド リシケシでのヨガの旅 アシュラムでのTTC合宿の一ヶ月
気がつくと頭が狂ったかもしれないと思うような不思議な感覚は、めったに起きなくなった。
そして、外の世界に何かが足りないという欠乏感からの行動や言葉が減ってきたという気づきもあった。
自分の中の欠乏感に気づいたとき、少しずつ全体性をみて、何かが足りないとかいうのが、自分の内側にあるんだっていう気づきがあった。
全体性 wholenessという言葉が1年くらいにしっくり来なかったのが、1年くらいあって、腑に落ちるような感じがあった。
この数年間のNVCの学びが、リシケシでのヨガの学びと半年間の仲間でのIITのロバート・ゴンザレスのワークの振り返りによって、繋がり統合されてきたという感覚がある。
Living Compassion スピリチュアリティと人のコミュニケーションが交わる場所
欠乏感ではなくて、自分の内側から湧き上がる根源的なものから行動する。
何かが湧き上がっている感じがしなかったら、今この瞬間に留まって、ただ感じてみる。
今ここに気づくというのは、まるで魔法。
何かに問題を抱えているときは、今ではなく過去に捕まっている。
あるいは、ここに存在しないどこかに気持ちがある。
今この瞬間瞬間にプレゼンスを何が大事を感じていく。
NVCをワークショップを行ったり、セッションしたりとシェアするというのもスキルを教えたいとかではなく、湧き上がってくる生命のエネルギーの美しさを感じたい。
そしてヨガもシェアしたい、分かち合いたいって気持ちが湧き上がってきた。
そして、何よりも海と大地に回帰すること。
リシケシのアシュラムで裸足で過ごしながら、海のない場所で、大地を踏んで太陽の光を浴びながら、いつも海を感じていた。潮の香り、波の音、うねり、珊瑚礁、イルカ、クジラ。
あって当たり前のような大地と海と離れて生活して、海や大地と共にいるんだってことを強く感じられるようになった。
旅に出たいなって、懐かしさを感じる今このときも旅しているように。
話も長くなってきたので、続きはまたの機会に。