犯罪が多いとか、騙されるとか、毎日カレー食べているとか、ヨガの聖地とか、悟りを開いたような聖者がいっぱいいるとか、イメージだけでカオスなインド。
インドに行ったら世界観が変わるはず、一度は行った方がいいとか、インド似合いそうとか、よくわからないこと言われていたが、実際に去年インドに一ヶ月行って世界観が変わったり、大きく何かが変わったかっていうと、ヨーガざんまいで何か大きく世界が変わるような体験をしたわけでない。
インド リシケシでのヨガの旅 アシュラムでのTTC合宿の一ヶ月
そして、またインド行こうかとか、タイに行こうかとかバリに行こうかとか、思いつつ、ただ遊んでいるだけだけど、自分の内側で知っていることを知ったという気づきがあった。
内なる気づきがあった。産業革命とか情報革命とか、IT革命とか、世界はいろんなことえ発展してきたけど、今は硬い表現だと精神の革命か意識の革命の時代、でもそんな表現じゃイマイチ面白くない。
遊んで生きる革命か、喜びの革命。
なんか、どっかの国のなんとか組みたいだだ。
スピリチュアルな革命。
自分の外側から内側に。
過去や未来から、今ここにプレゼンスをおくことに。
不安や恐れを原動力にすることから、自分の内側から湧き上がる愛を原動力に。
対立から共生へ。
欠乏感から全体性へ。
長い間、何年もずっと思っていた。
「人はなんで対立し、争い、憎しみあい、奪いあうのか?」
お互いを大切に思っていた関係性が、顔も見たくないような関係性に変わってしまうのはなぜ?
自分のなかに暴力的な性質、闘争本能みたいな野生がある感じがするのはなぜ?
その問いの答えは、とてもシンプルなんだ。
人間は想像する力を持っているが、止まらない思考、一人一人が違う世界、自分のフィルターで物を観て、その歪んだ世界を真実だと認識してしまうという機能を持っている。
ドラマや物語と一体化してしまい真実が見えなくなる。
常に外側に何かを求める。
不安や恐れを減らすために、お金がないといけない、保険に入らないと不安、車が欲しい、マイホームが欲しい、ブランドのバックが欲しい、学歴がないと就職できない、彼女(彼氏)が欲しい、結婚しないといけない、離婚は悪いことだ、政治家は正しくないといけない、ダイエットしないといけない、まだまだある。
何かを手に入れたり、何かになったりしないと価値がない、愛が足りないという恐怖、欠乏感。こう書いているけど、おいらも、いろんなもの欲しいと思うわ。
外側に何かが足りないと求めているものは、自分の内側にすべてある。
陰陽、光と影、男と女、太陽と月、プラスとマイナス、昼と夜、生と死。この世界で対になるものを投影している。
世界の法則。
自分の外側は自分の内側を投影している。
何かが足りないというのは、それがあるということ。
外側に足りないと思ったら、自分の内側にある。
外側に何かを求めなくても、何も損なわれない、すべてが繋がっているとか、ワンネスとか非二元とか真我とか本当の自分とか、アートマンとか宇宙とか、古代から現代まで様々な人がいろんな表現で伝えているけど、言葉にしたら、それとそれ以外になってしまうから、言葉はただのラベルしたものでしかない。
NVC 非暴力コミュニケーションのワークショップをやったりして、伝えたいこと、シェアしたいことの本質は、全ての人のなかに全てがあるということなんだ。
NVCでは、すべての人が必要な大切なことをニーズというラベルを使って表現して、自分や他者に共感をする。
NVCでの共感はするというより、起きるのだと思っている。
ニーズはLIfe Energy 生命エネルギーと言われていて、ニーズに触れたときに、足りない、満たされていない思っていたことが、自分の内側にあるという気づきが起き、変容が起きる。
別にインドに行って修行しなくていいし、頑張らなくていい。
だって自分の内側にすべてあるんだから。
ちょっと外から内へ視点を変えるだけで、めっちゃ楽になる。
自由自在、好きに生きていいのだ。
どんなルールで遊ぶのか、ただただ自由だ。
こんなに長く書いても、読んでいる人は少ないけど、遊ぼうよ。