節分の「鬼は外」は呪いの呪文なのか?

本日、2月3日は節分。
節分で子どものころは、豆をまいて悪い気は外へ、よい気は内へそして年齢の数だけ
豆を食べる日だと思っていた。

そして明日の2月4日は二十四節気での立春。
かつて節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日の年に4回あったが今は春の一回だけ。
まだまだ寒くても、暦のうえでは立春、春ということだ。
そして今年は2月8日が旧暦 太陰太陽暦での旧正月。
むかしは、太陽の暦である二十四節気と、月の暦の太陰暦を併用していたってのが面白い。

節分といえば大豆の豆まき。東北や北海道は落花生をまくらしい。

どこかで聞いた節分での豆まきの由来。

日本、倭の国は先住民族 縄文人が暮らしていた。
そこに大陸からきた渡来人 弥生人が攻めてきた。
倭の国 和の国の縄文人は争いを嫌い弥生人に土地を譲った。
そこで混血になり、ハイブリットの日本人が誕生。
縄文人はいつ土地を返してくれると聞いたら、弥生人は「煎った豆が芽を出したら土地を返す」と言ったとか。
煎った豆から芽が出るはずはなく永遠に土地は還らず。
そして節分 季節の変わり目にそろそろ土地を返してくれないかと縄文人が帰ってきたら
煎った豆を投げて、まだ芽が出ていないぞと「鬼は外」という言葉を発して縄文人を追い返した。
言霊が信じられていた日本では、呪いの呪文だったのかもしれない。
または、穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっているとも信仰があった。

鬼は外ではない?

「鬼は外、福は内」
これを自分の心に当てはめてみる。
鬼も福も外側ではなく、内側にある。
外側の世界は自分の鏡で、鬼も福も自分自身なのではないかな。
縄文人も弥生人も自分たちの祖先だ。
どちらも内側に住んでいる。

「鬼は内、福は内」
呪いではなく、祝おう、そして感謝しようと思う。

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