近年、インドの神秘家で覚者として知られるOSHOの本を好んで読んでいる。
リシケシでTTC受けたyogaviniのアシュラムでもOSHOの写真が飾ってあって、インドではやっぱ有名な人なんだなって思った。vini先生もOSHOの影響を受けたと話されていた。
OSHOの書いた本は、たくさん日本語に訳されたものもあるが、本によっては同じ内容がかぶっていたりで、何を読むか迷うことがあるが、タイトルに惹かれて去年買った本、「秘教の心理学」
英語の原本のタイトルは「The Psychology of the Esoteric」
本の説明はこんな風に書いてある。
七つの身体の超越! ハタ・ヨーガ、マントラ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガは、どのような身体レベルで役に立つのか? グルジェフがはたらきかけようとした身体レベルとは? 禅やクリシュナムルティに代表されるノーメソッドは、どのようなときに障害となり、どのようなときに助けとなるのか? 神秘家としての和尚が、探求者の質問に答えながら、進化、瞑想の神秘、性エネルギー、クンダリーニ・ヨーガ、七つの身体、7つのタイプの夢と現実などを縦横無尽に語った講和集。発行元:瞑想社。
タイトルは心理学だが、この説明だけ読むとOSHOがヨーガについて語っているのだろうか? 説明で出ているヨガは4種類。グルジェフとは、ロシアなどで活動した思想家のことだが、名前くらいしか知らない。気になったので購入してみた。
気になる内容は、
第1章は、「内なる変革」
第1章は、人類全体が悟ることがあるのか?人類の進化は今どこかというような問いです。
全一性(ワンネス)は、自我(エゴ)のない状態になるときしか生まれない。
ちょっとヨーガ・スートラの1−2の、「ヨーガ・チッタ・ブリッティ・ニローダハ」、ヨーガとは心の動きを死滅することであるのようでもある。
第2章は、「瞑想の神秘」
おそらく瞑想について、この人ほど語っている人はいないんではというくらいにOSHOは、あらゆる本で、動画で瞑想について語っている。
瞑想とは、言葉なしで生きること、非言語的に生きることを意味する。
この言葉を読んで、なんて美しい詩なんだろうという言葉が、出てきてしまう。 言語を使って非言語を説明することのなかに美しさがあること。
第3章は、「セックス、愛、祈り」
セックス、性エネルギーについても、OSHOはいろんなところで語っている。
セックスから瞑想を創造しなさい。セックスを瞑想の対象にしなさい。それを寺院とみなしなさい。するとあなたは超越し、変容されるだろう。
インドにはカーマ・スートラというセックスや恋愛のバイブル的なものもあるし、ハタヨーガの源流であるタントラヨーガには、左道タントラと呼ばれるセックスによって、覚醒を目指すヨーガがあるともいう。OSHOの性の話がどこからきているのかわからないが、とても興味深いところでもある。
第4章は、「クンダリーニ・ヨーガ」
クンダリーニとは何かとかについても書いてあるが、とても気になることがあったので、メモをとってみた。
体と心について、呼吸について書かれている箇所だ。
人は体と心の両方にはたらきかけなければならない。体はヨーガ的な方法論によって、心は気づき(アウェアネス)によって修練されるべきだ。ヨーガを修練するとものごとはより微細になっていくため、さらに気づきが必要になる。あなたが怒っているとすると、それはとても粗大なため、ふつうはそれに気づくことができる。だがプラーナヤマを修練すると、怒りに気づくためには、より大きなアウェアネスが、より鋭い感受性が必要になる。さもないとただ粗大なものに気づくだけだ。粗大なものを変えても、微細なものを変えないと、あなたはジレンマにおちいる。いまや葛藤は新しいやり方で自己主張してくるだろう。
ヨーガは役立つが、それはひとつの部分にすぎない。別の部分とは仏陀が「留意 mindfulness」と呼んだものだ。肉体がリズミカルで内面の動きに協調するようにヨーガを修練し、そしてそれと同時に留意(マインドフルネス)を経験しなさい。
呼吸に留意(マインドフルネス)しなさい。ヨーガにおいては、あなたは呼吸のプロセスを変えなければならない。留意(マインドフルネス)においては、そのままの呼吸に気づいていなければならない。ただそれに気づいていなさい。呼吸に気づいているようになれば、思考のプロセスに気づいていられるようになる。でなければ、それは不可能だ。
思考にプロセスに直接気づくようになろうと試みる人は、それができないだろう。それは非常に骨がおれ、あきあきする。呼吸は心の扉だ。もし一瞬のあいだ呼吸を止めるなら、思考もまた止まる。呼吸が停止するとき、思考のプロセスも停止する。あなたの考えが無秩序なら、呼吸も無秩序になる。呼吸は思考のプロセスを同時に反映している。
仏陀はアナパーナサティーー入息と出息の気づきのヨーガーーについて語っている。彼は「ここから始めなさい」と言う。そしてそれは正しい始まりだ。人は呼吸から始めるべきであり、思考プロセスから始めるべきではない。呼吸の微細な動きを感じとれるとき、そのときはじめて、あなたは思考の微細な動きを感じとれる。
思考プロセスへの気づきは心の質を変える。アーサナとプラーナヤマは呼吸の質を変える。すると身体と心がひとつになり、どんな葛藤もない瞬間がおとずれる。身体と心が同調するとき、あなたは身体でも心でもない、あなたははじめて真の自己(セルフ)として自分を知る。あなたは超越する。
自分なりの理解では、体と心の両方の気づきが同時に必要で、思考に気づくには呼吸への気づき、マインドフルネスの重要性を言ってと思う。
第5章は、「秘教ゲーム」
身体や心など二元的なことへの超越していく感じ、やはりOSHO先生の言葉はいつだって、ずばり本質のみを伝えてくれているように受け取れる。
アドヴァイタ、非二元的哲学から始めてはならない。概念からではなく、実在から始めなさい。
第6章は「夢の心理学」。人間の身体を7つの種類について、夢について。
物質体(フィジカル)、精気体(エーテル)、星気体(アストラル)、精神体(メンタル)、霊体(スピリチュアル)、宇宙体(コズミック)、涅槃体(ニルヴァーナ)。
11章まであるのですが、興味深い内容がけっこうあって書きたいことはいっぱい出てきますが今回はここまでで。 OSHOの本の中でも読みやすい一冊でおすすめです。
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