「自分と繋がる。」 NVC 非暴力コミュニケーションのワークショップなどで、よく言われる。
ヨガ教室などでも、自分と繋がるという言葉を使う先生がいると思う。
自分もワークショップで、参加者に「自分と繋がってください。」って言うことがある。
そんな時、滅多にいないんだけど、ごくたまに
「自分と繋がるってどうしたらいいの? どういうこと?」って質問を受ける。
その問いかけがあるまで、自分と繋がるということ言葉を聞いて、意味など考えたことなかった。
自分と繋がるって、思考で考えることじゃないし、そういう疑問を持つ人がいるんだって、少し驚いたが日常生活で使う言葉じゃないし、疑問に感じても不思議じゃない。
プレゼンス(presence)を他人とか自分以外のものではなく、ただ自分に置いて、今自分がどんな気持ちでいるか、体はどんな感じか意識を変える。
言語化して考えていなかったけど、自分と繋がろうとするときにしていることはそんなことだった。
それで思っていたんだけど、そもそも自分と繋がるって、みんなどういう意味で使っているんだろう?
知りたいなって思った。
自分と繋がるの自分というのは誰のこと?
自分=私のこと?
自分というのは自我の自分か、真我の自分のことか、まあ自我じゃないだろってツッコミきそうだけど、自分って思っているのは本当に真我なの?
真我、本当の自分って何者なのか?
本当の自分と繋がっているのか?
本当の自分って何者なのか?
名前はアツシで、ニックネームはジャックで、日本人で、沖縄に住んでいて、仕事はエンジニアで、結婚は一回で、離婚も一回で、子供が二人で、趣味はハイキングで、好きな食べ物は、、、、、とか、まあ、色々人それぞれあるけど、それって本当の自分かっていうと変化するもんだし、評価が入っていたり、ただのラベルだったり、好き嫌いだったり、自分のようで自分ではない。
今、書いたのは名前はアツシだけど、適当で自分のことではない。
そんな外側から見てラベルを貼った自分ではなく、内側の自分、魂の自分は何者なのか?
今この瞬間に起きている、今の自分と繋がること。 繋がる、つながるとは、触れること、タッチすること。 他人と繋がるとか、自然と繋がるとか言うけど、どれも同じだと思う。
どんな気持ち、寂しいとか、悲しいとか、楽しい、ワクワクする、肩こりがある、頭が重い、息苦しい、 生きていて、常に変化する自分の状態に触れて意識すること。
命そのもののエネルギーに触れていることを意識すること。
今、この瞬間に自分がイキイキとして、生きている命のエネルギーに触れているということへの気づき。 これが自分が思う自分と繋がること。
自分に繋がったとき、自分へも他人へも、優しさや思いやり、compassionが溢れてくる。 自分さえよければいいって思っているときは、自分と繋がっていないし、 あいつは悪いやつだとか、他人を批判している時も自分と繋がっていない。
社会には様々なことが常に起きているが、自分と繋がり続けていなかったら、真理にたどり着くことはないと思うんだ。
それと自分と繋がるって、努力とか頑張ったりてしていると繋がらなくなる。
平和のために、まず自分と繋がろうとか、頑張って繋がろうとすると、繋がるどころか分離しちゃう。
ただ静かに、優しく、思いやりを持って、外側から内側へ視点を変えて見て欲しい。
その時、あなたに何が起こったか、聞かせてくれたら嬉しいなって思う。