「つながろう」分離から統合(つながり)へ

コラム

繋がろう

2011年の東日本大震災から6年が過ぎて、なんだか心がザワザワするここ数日だった。

「つながろう」とか「復興」とか東日本大震災のあと、いろんなところで聞かれた言葉。

地震や津波で被災した被災地の人と繋がろう。
みんなが繋がりたいって思ったんじゃないかって自分は思う。

だけど、この世界は「繋がり」よりも、分離しているように見えてしまう。

繋がっていない「分離」のシンボルは東京電力の福島第一原子力発電所の事故だって思う。
日本政府は、廃炉まで40年という。
しかし、事故がなかった原子力発電所だって、40年で廃炉にするのは困難だ。
日本では使用済み核燃料の行き先が決まっていない。
再処理して、プルトニウムを取出して、残りはガラス固化するって言ってるが再処理事業も失敗続きで、稼働していない。
そして、原子力発電所で使われているものは、建物から何から何まで核廃棄物だ。それらの処理も出来ない。

原子力発電所の事故では、メルトダウンした燃料がどこにあるかもいまだにわからない。
いまだに収束する目処だえたっていないはずだが、もはや終わったかのように高レベルに放射能汚染した地域へ住民の帰還がはじまっている。

何から何まで、分離されている感じだ。

「繋がろう」「つながろう」って言葉はどこへ行ったんだろう?

核燃料再処理工場のある青森県六ヶ所村へ行った話

自分とつながること

自分と繋がること、これから先の時代は自分と繋がれない人が、生きるのが苦しいか、戦い続けるか
逃げて生きるかになる。

「自分とつながる」って意味わからないって言う人がいる。

心(ハート)と頭(ヘッド)が一致していること。
思っていることと考えていることが一致していること。
さらに言うと行動が一致していること。

心のなかで、こんな仕事やりたくないとか思っても、心にふたをして頑張って働くとか、そういうのは繋がっていない。

すべてが繋がっている

スピリチュアルな人たちは、すべてが繋がっていると言う。
この世界に境界線 エッジを作っているのは自分だ。
本当はエッジはない。 

すべてが繋がっている。
エッジは繋がりのもっとも美しい場所。
この世界はすべてが、関係しあっているんだ。
自分が嫌いだって思っている人だって、繋がっている。
植物も動物もすべてが関係性のなかにある。
ひとつだ。

すべてが、繋がっているということを考えるのでもなく意識していると
この世界はすべて愛だって思える。

パーマカルチャーでは12の原則のひとつ に
「Integrate Rather Than Segregate」というのがあり、
日本語だと「分離から統合(つながり)へ」。

例えば現代の慣行農法では、キャベツならキャベツだけ。オクラならオクラだけを育てる。
他の野菜とも離れているし、虫がつかないように農薬を使う。
パーマカルチャーでは、ひとつの作物だけを育てることはしない。
パーマカルチャーは、関係性のデザインだから、何かほかの生物とつながりがある。

分離しているのは現代の人間社会であって、生命はつねに他者と繋がっている。

生きるってことは、繋がることなんだ。

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