NVCの創始者マーシャル・B・ローゼンバーグの問い。
今日は、マーシャルが残した言葉を動画から一部抜粋させてもらった。
読んで欲しい。読んで何か感じたら動画を観て。
「どうして他人の苦しみを喜ぶ人がいるのか?、暴力を楽しむ人がいるのか?、そうして悪と判断した人を罰するのが英雄的と思うのか?」
その反対に
「人の幸福に貢献することが喜びだという人がいる。」
それは、なぜだろうか?
暴力的な人と思いやりをもった人には、異なる言葉と意識がある。
お互いの幸せに貢献するコミュニケーションのプロセスと暴力に貢献するコミュニケーションのプロセスの違いを明確にしようとして非暴力コミュニケーションが生まれた。
暴力の原因となったコミュニケーションはどこで生まれたのか? 今から約8000年ほど前に他の人たちより、自分たちが優位になるように少数の人たちが支配する構造ができてしまった。自分たちの家系が神に近いなど神聖な権利を使ったり、理由はともかく少数の人が多数の人を支配する文化ができた。そのための言語が生まれた。人がなんであるか分類する言語、王族か日雇い労働者か、正しいか、間違っているか、支配する人たちが権力をパワーオバーで使う、罪、報酬、罪悪感、恥など報復的正義の言語、相手をどうであるか評価する言語、その人が正しいか、間違っているか評価する言語が8000年くらい前に生まれた。
そして支配構造が生まれた。その前の狩猟採集の時代はそのあとほどの暴力はなかった。NVCは自然な状態に戻してくれるのではないか?
8000年の間、人は不幸な状態に引っかかってしまっているのでは、NVCはそれを自然な状態にしてくれる。
評価はニーズを満たしているかどうか、自分と他者のニーズがどうであるか? 正しい、間違っている、いい、悪いではなく、ニーズは満たされているのか? 満たされていないのか?全員のニーズを満たすために何ができるのかがNVCの言語。
人のもっている信念や評価が人間性を失わせ、権利を否定することに繋がっているという仮定により、そういう言葉はニーズの言葉を弯曲した表現で人が伝えたいことは「ニーズが脅かされている」ということで、それを表現する言葉を知らないため、正当化する言葉を使う。自分が正しく、相手が間違っているという正当化する言葉、考え方をする。
共感は2番目のステップで相手を人間として見ることだ。 相手の中で生き生きとしていることにプレゼンスを必要とする。
5月13日に藤沢鵠沼でNVCのワークショップをやります。
【藤沢-5-13開催】NVC 非暴力コミュニケーション ワークショップ 共感の海を泳ぐように生きる
6月は沖縄でやる予定。2019年もあちこちでやるよ。