非暴力 アヒムサとは創造的な行動だった

スピリチュアル

最近イベント告知以外にブログ書いてなかった。

いっときnoteに浮気していたし。

このウェブあるのになんでnoteなんだよって、自分に突っ込み、久しぶりにつれづれと書いてみる。

非暴力、ヨガの哲学では禁戒の一つアヒムサ(ahimsa)、NVC 非暴力コミュニケーションのことやヨガの哲学について、何度もここで書いてきたが、久しぶりに書いてみる。

非暴力という言葉の印象は、ネガティブな印象を受ける人も多いと思う。

ここ数年の学びと実践、個人的な研究から非暴力というのは、創造的な行動だって思っている。

クリエイティブな活動でありアートだと思っている。

非暴力 アヒムサの意味を”自分や他人に言葉でも行動でも暴力を振るわないこと”というふうに認識している人は多いと思う。 もちろん、それはそれで間違ってはいないが、消極的な意味でしかなくて、むしろ積極的な意味では非暴力とは与えることだと思う。

喜んで与えること。やりたくないのに無理に頑張って行動するのではなく、心の底から喜んで自然と与えること。 与えるってことは何かを生み出すエネルギーで創造的な行動だって思う。

さらに暴力的な言葉や行動が起きるときというのは、人間の意識に流れるのは何かが足りない、満たされていない、不満や不足、恐怖といった欠乏感がある。

愛されていない、信じられない、許せない、資源がない、お金がない。

ない、ない、ないの、何かがない、足りないという意識。

一方で非暴力 アヒムサの意識は、自分の内側に全てがある。満たされていないものはない。 いつも満たされているという意識。

「人が外の世界にないと思うものは、自分の内側にある。」

スピリチュアルな人たちは全てが完璧とかワンネスとか言ったりするが、全てが自分の内側にある。

生きているということは、無限の生命のエネルギーが与えられて、受け取って、与えて、そのエネルギーの循環の流れの中にいる。

悲しかったり、辛かったり、苦しかったり、ネガティブな感情も、ワクワクしたり、幸せだったり、喜びだったりのポジティブな感情も生命のエネルギーの流れの中で起こること。

人間が存在していることビーイングは、生命のエネルギーの表現のひとつであり、日々変化している。

生命のエネルギーは創造のエネルギー。

生命を創造し、あらゆるものを創造する。 夢を見るし、誰かを愛するし、歌を歌い、絵を描き、家を建て、食べ物を育て、料理をして、全てが無限の創造のエネルギーであり生命のエネルギーの表現である。

非暴力 アヒムサの実践というのは何かが足りないという欠乏感から、自分の内側にある完全性、全体性に気づき、シフトすること。生命のエネルギーの流れの中で与えて、受け取る創造的な行動が自然と起きること。

世の中には引き寄せの法則とか、ワクワクのエネルギーとか、同じ周波数が引き合うとか、シンクロするとか、フワフワなスピからガチなのもいろいろあるが、まあなんでも好きなことを選んでいいと思う。

恐れや不安は生物としての防護機能で自然と起きるが、人は無意識に習慣化して当たり前となっている。習慣化した満たされない欠乏のエネルギーで生きることが無意識の暴力の根底にあると思っている。 頑張っていい人でいようと思っても無意識に根付いているものに気づかないと変わらないわけで、根が深かったりする。

生命のエネルギーは創造のエネルギーであり、すでに満たされている完璧な世界を生きることなかでミラクルのような創造性のなかを生きることになる。

アセンションとか目覚めの時代だとか、いろんなことを言う人がいるが、無意識の習慣的なパターンなどに気づき、解放すること、自由になることがそのひとつじゃないかなって思います。

ヨガや瞑想といったプラクティスも意識的に練習することで、役立つと思っている。 無意識にやっていたらただの健康やダイエットの道具くらいなんだと思うが、それでもやらないより、きっとマシなはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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