明日で、あれから6年。グレゴリオ暦 新暦西暦2017年3月11日だ。
今を生きると言いながらも、忘れられない日だ。
東日本大震災、地震に津波に東京電力福島第一原子力発電所の事故。
まだまだ、過去に引っ張られているぜ。
そして来ていない未来への妄想も止らない。
あの日、ぼくは逗子の小坪のアパートで、ウェットランドのホームページを更新して、自分のパソコンがmacbookで、お店のWindows XPのパソコンでWEBを確認しようと家を出ようかとしたときに、ドカンって変な揺れ方がした。
遠くでデカイ地震って気がした。
それでも家を出て、愛車のリトルカブに乗って走るとすぐに、道路の異変に気付く。
信号機が停電していて、何だか変な感じ。
そして、小坪から鎌倉の坂ノ下まで10分ほどで着いたら、お店も停電している。
みんな携帯も繋がらなくなっていたが、
まだ少数派だったiPhone3Sを所有していて、Twitterやメールが自分には届いていて、東北で津波がすごいことになっているとか、原発や六ヶ所の再処理工場の情報もどんどん入ってきていた。
坂ノ下の漁師さんが、津波が来た、やばいぞって言ってて実際に潮が引いている時間なのでビーチがなくなって道路近くまで波が来ていた。
そしてあっという間に潮が引いていった。
津波は2回目のほうがヤバいってことで次の津波が来る前に逃げた。
その日の夜は、家に帰ってから原発がやばいから避難したほうがいいかもしれないって思ってバックパックに荷物を入れて避難できる準備しつつ、気になって情報を集めていた。
ちなみに翌日はオールトランジションのミーティングで地域の活動や自然エネルギーの話をしてと言われていて、その翌日は平塚エネルギーカフェみかんやさんが主催の相模原の小水力発電の見学会に参加の予定だった。
世界で拡がるトランジション・タウンのムーブメント!参加してみる?
トランジションミーティングは中止で、小水力は決行したが、自分は不参加にした。
翌週は非電化工房の地方で仕事を創る塾の3回目の予定だったが、3月は中止になった。
非電化工房の藤村先生は、自分に「トランジションタウンの鎌倉や葉山で活動していて、私の塾に参加しているので、弟子みたいなものなのは、何かの運命かもしれません。」とか言ってたが、
そのとき起きていたことは、今思うとオカルトじゃないかって思うくらいにミラクルだった。
非電化工房 幸せな暮らしの選択肢を提案! 電気はあまり必要ない?
トランジションタウンを鎌倉ではじめるから、一緒にやらないって、最初に誘われたとき、六ヶ所再処理工場の稼働にサーファーで反対署名を集めて国に提出するというアクションをやっていて、昼間は仕事で夜はアクティビズムみたいな生活で、いっぱいいっぱいで断った。
それから半年ちょっとくらいたって、鎌倉から逗子へ引越ししたばかりのころに葉山の森山神社だったかでトランジション葉山のエネルギーのイベントがあった。
ソーラークッカーで料理したり、廃油ディーゼルエンジンのデモをやったり、脱東電へ何が出来るかって話をしたり、それで愉しくて、自分もトランジションの仲間に入れてくれって言ったら、トランジション葉山の俊さんに、エネルギーのグループのリーダーやらないって誘われた。
「いきなりリーダー無理でしょ。」ってマジで思った。
それから、半年近くたった7月の後半に、下北沢で「できるぞエネルギーシフト!飯田哲也さんに聞こう!」だったか、そんな感じのタイトルの飯田さんの講演があった。
平日の夜で仕事終わってから参加したんだ。
だけど、そこに鎌倉や葉山で脱原発とかトランジションとかの地域で活動している仲間が5人くらい来ていた。
そのあとの打ち上げまで参加して、映画監督の鎌仲ひとみさんも来ていた。
鎌仲さんの作ったドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」に自然エネルギーの第一人者である飯田さんが出演していた。
映画を観て、スウェーデンは電力を選べるとか聞いて、日本なんで選べないの?って疑問。
誰かが、「じゃあ実際にエネルギーシフトするには何したらいい?」
鎌仲さん「電気作っちゃえばいいのよ」
電車ない時間だったが、杉さんがクルマでノンアルのおかげで、みんな最後までいて、そのノリでトランジション葉山と鎌倉で合同のエネルギーのワークグループが立ち上がり、なんとなくリーダーが、「あつし君」って感じで自分になってた。
結局、最初断ったトランジションの活動に最前線で参加して、リーダーもやっていたというオチだ。
そして、毎月「たいよう講」という集まりをやって、エネルギーの専門家を呼んだり、アンペアダウン運動をひろめて、まずは省エネでしょって感じだった。
六ヶ所の再処理工場の稼働への反対という反対運動から、ポジティブな運動への転換。
そんなときに、当時の会社でリストラで早期退職の話が出て、会社を退職した。
会社を退職する少し前に、非電化工房の藤村先生が「土と平和の祭典」に出店していて、
面白いことをやるから参加しませんか?って言われて、面白そうって思って
「地方で仕事を創る塾」に参加した。
藤村先生が川崎で「発明起業塾」というのをやっていたときに学びに行きたいって思ったときがあり
そのとき、「発明起業塾」ではなく、「スロービジネススクール」に参加した。
しかし藤村先生とも鎌倉ですぐに会うことが出来た。
会いたいと思った人とは、たいてい会って話ができて、それもとてもよい出逢いになっている。
「地方で仕事を創る塾」で学んでも、また社会的にそれなりの評価の会社に転職して、畑とかもやりながら、地域でエネルギーを作るようなこともしたいって漠然に考えて、なんとなく活動していた。
311の前は、「自分は鎌倉や逗子に住んでいたい!」って言ってた。
それが世界観が変わった。
変えられた。
もう戻れないって思った。
世の中がおかしい、変えたいとか外側の問題ではなく、自分が変わろう、自分を変えようって思うようになった。
そして、自分の見方が変わると、本当に世界は変わる。
「他人を変えることは難しいけど、世界を変えることは簡単だ!」
だって自分が変われば、世界は変わるんだ。
最近の最大の変化は
「変わらなくていいんだ。ただ、ありのままでいい。」
ありのままでいることが、変わり続けること。
雲が流れて、天気が変わるように、自然は常に変化している。
人も自然の一部だから、常に変化しているんだ。
原発事故や戦争、世界はまるで絶望的に感じることもあるが、自分はたくさんの希望とも出逢ってきた。
そのひとつが、パーマカルチャーだし、NVCでもある。
社会のことで深い絶望を感じている人にオススメのワークがある。
「つながりをとり戻すワーク」
希望のための絶望のワークショップに参加!つながりを取り戻す!?
希望を生きる。
簡単だよ。
そして、6年前のことを書いたが
あとで読んだら忘れているかもしれないし、自分の記憶違うってなるかもしれない。
そんなもんだ。きっと。
夜は電気を消して、祈ろう。
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