たまにはキャンドルナイトでスローな夜をすごそう!

日々の出来事

数年前まで、冬至と夏至の日に「100万人のキャンドルナイト」というイベントがあった。
「電気を消してスローな夜に」というキャッチだったが、なかなか素敵なコピーだったと思う。

アンペアダウンの次はブレーカーダウン。
ブレーカーごと落としてオフグリッドで非電化。

写真は島で数少ない同じ年の友人、
キヨくん作のキャンドル 名前は「キヨンドル」、なかなか快適でしたー

けっこう明るい♩ 
と言っても読書や絵を描くのは無理でした。

2011年の311のあの夜、東京電力の福島第一原子力発電所がメルトダウンしたのを情報室の澤井さんのメールに書いてあった政府公報に、炉心損傷って書いてあるのを見て知った。
その後、炉心損傷はメルトダウンじゃないって大学の先生とかが言い出したりでびっくり仰天だった。
放射能出ているのに何を言っているんだろうって。

とりあえずバックパックに荷物つめて移動できるようにした。
と言ってもあちこち地震あるし、現地も気になった。

そして翌日1号機が爆発して、15日に3号機が爆発した。

ちなみに水素爆発ってことになっているようだが、3号機は1号機と違ってキノコ雲ができていて、燃料プールでの即発臨界による核爆発だったという説が、有力になっているようだ。
1号機と3号機の爆発が違うのは、見た目で誰でもわかる。
5年たっても、その話がほとんど出ないということに、日本に報道の自由があるのか、メディアリテラシーを疑ってしまうわけだ。

3号機の燃料プールは、瓦礫でいまだに確認できていないという。
確認できたときに真実が明らかになるのかもしれない。

即発臨界核爆発説は、原発政策をストップするポイントになりうるだけの要素じゃないかな。

3号機の爆発を見たときは、日本死ねじゃなく、死んだと思った。

情報は錯綜しているし、落ち着かないから、とりあえず西経由で沖縄へ行こう♩って思った。

しばらく帰らないから、部屋を片付けたり整理してから
那須の非電化工房の藤村先生と電話で話した。

お金やエネルギーは少しでも豊かな暮らしを提案する非電化工房

藤村先生は原発に詳しかったから、たくさんの質問とかが来ていた忙しいなかで
20、30分くらい話して、説得された。
「逃げないで戦いなさい。」って。
「逃げないきゃいけない状況になるかもしれないが、大人は今すぐ逃げない状態ではない。」
藤村先生は安全だって言っているわけでなく、みんながパニックになっているから落ち着いて行動して、反撃してやろうって言いたかったようだった。

どうせ死んでいるなら、それも面白いかもしれないって思った。

そっから、いろいろやってみた。
それらの活動はブログでも書いているが、この事故当時はキャンドルの灯りで家で一人で調べものをしたりということが、けっこうあった。

週の半分くらいは市民活動とかのミーティングだったりイベントだったり、そんなことを数ヶ月やっていた。

キャンドルの灯りを見るとそんなことを想い出すのだった。

そして、あのとき避難しようと思った沖縄に今は避難じゃなくて住んでいるから、
人生って何があるかわからなくて面白い。
放射能のことは気になっていたけど、放射能関係なく、地方へ移住したいって思うように変わっていって、引越しした。
しかし原子力発電所の事故がなければ、移住だってしてなかったと思うしね。

地方で移住するって、仕事と収入の不安あるけど、
とりあえず動けば生きていける。 
もんもんとしている人いたら、動いてみることをすすめます。
相談にも乗ります。

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