新月日記 ゆっくり生きること

コラム

今日は西暦グレゴリオ暦3月9日ということで
39 サンキュー、ありがとうの日。
めでたい感じがする。

旧暦太陰太陽暦では如月朔日。 
魚座の新月。大潮。
終わりの始まりの日。
なんだか、いろんな日なのだ。

あと2日で東日本大震災から5年になる。
あの日、鎌倉で生まれてからはじめて津波を生で見た。

https://twitter.com/atsusurf/status/46106768878743552
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鎌倉で津波が来るくらいだから、東北はどうなっているのだろう、原子力発電所や六ヶ所村の再処理工場は大丈夫だろうかという思った。

https://twitter.com/atsusurf/status/46111579212746752

書くまでもなく、その嫌な予感が的中してしまった。

atsushi morino (@atsusurf) on X
政府の緊急対策本部の資料3頁目に  東電緊急対策室情報として、水位低下について ・福島1−2号機 有効燃料頂部到達予想  21時40分頃と評価  炉心損傷開始予想 22時20分頃 原子炉圧力容器破損予想 23時50分頃

あの日を境に、ものすごい勢いで世界観が変わっていった。
自分だけじゃなく、いろんな人がそんな想いだって思う。
パラレルワールドをいくつも越えて、違う世界に移動したかのようだ。

大地震と原子力発電所の事故が起きることが、まるで運命だったかのような
震災前の数年間だった。

六ヶ所村の核燃料再処理工場を見に行ったり、原子力、核の問題が自分の暮らしと繋がっていった。

核燃料再処理工場のある青森県六ヶ所村へ行った話

勉強会やり、署名運動やり、イベント開催し、映画上映会やり、議員会館にロビイングにいき、まあ自分でもよくいろんなことに参加したもんだ。
まるで、いっぱしの活動家みたいだ。
一人じゃ何もやれなかっただろうし、仲間がいたからだって思う。

地域ではトランジションタウンの仲間でエネルギーのワークグループをつくり、勉強会をやったり、アンペアダウンのキャンペーンをやったり、
那須の非電化工房地方で仕事を創る塾に勉強にいったりした。

311の後は、さらにいろんなことに首をつっこみ
原発事故の情報発信するウェブを作ったり
放射能に関する勉強会の講師を頼まれたり
学校の課外授業でエネルギーについて話したり
テレビとか新聞とかラジオから取材受けたり
雑誌に記事頼まれて書いたり、
鎌倉でデモもやったり。
変わったところでは、かまいち君って名前つけた自転車発電を自作したりした。
脱原発で20年くらい前から自然エネルギーの普及を行っている会社で、仕事していた時期もあった。
ちなみに、働いていたのは、この会社 株式会社エコテック
エコテックでの仕事以外は、ほとんど自腹、ようするに自分のお金持ち出しで、毎月貯金がどんどん減っていくのに焦ったりもした。
エコテックの仕事も新卒の初任給より安い賃金で、このときも密かに焦っていた。

そのときは焦っていたが、今も無事生きて健康でいるから問題なかったってことだ。

震災前は、移住とかするつもりはサラサラなかった。
鎌倉や逗子は楽しかった。
自然があって、そこそこ都会。
サーフィンもできるし、台風来たら波のいい。
友達もどんどん増えていったし、地域で一緒に活動する仲間もいた。

非電化工房の藤村先生の「地方で愉しいことをやりましょう」という教え。
「自分は鎌倉や逗子を離れたくない!」って言ってた。
藤村先生も那須に行く前は逗子に住んでいて
「鎌倉、逗子、葉山は素晴らしい場所で大好きだけど、非電化パークを創るというやることがあったから那須に移住した。モリノさんも、いつかやることが出来たら離れる日がくるかもしれませんね。」
と予言めいたことを言われた。

原発事故と放射能汚染は、自分に移住という選択肢を考えさせた。
非電化工房の地方で仕事を創る塾で、藤村先生からの教えは
地方には様々なポテンシャルがあるってことだった。
地方にこそ豊かさがある。

移住という気持ちを後押ししたのは、放射能のこと被ばくのことだった。
1年くらいたってから起きてきた身体の異変。
高濃度に汚染された地域に住んでいるわけじゃないし、
放射能との因果関係はわかんない。
それでも確実は原発事故が起きる前より被ばくしている。
自分の身体の健康だけ考えたら、ちょっとくらい被ばくして早死にしようが好きなことやって生きているし後悔ない。
それでも西へ南へ移住したら、身体に変化あるかもしれないって思った。
自分の直感で動こうって思った。

そして、縁があり今は沖縄の石垣島にいる。

移住する前から、震災後は食べ物をいろいろ気を使うようになった。
動物性のもの、肉や魚はあまり食べなくなった。
次第に外食したときだけ食べるようになった。
まさか自分がベジタリアンになり、ビーガンになるとは思わなかったが
結局今はほぼビーガン。

移住しても、放射能だけじゃなく農薬や化学肥料、GMOに合成洗剤とか
今この社会で暮らすってことは、つねに複合汚染にさらされている。
放射能だけ悪者にするつもりはないし、日々の暮らしで何を選択するのか、
知れば知るほど
コンビニやスーパー行って、加工品とかほとんど買えないってなる。
何も知らないときは、売ってるものは安全だって思っていたんだから
まずは知ることだって思う。

書いているうちに、なんで放射能のこと書いているんだオレとか思ったが
明後日が311だったからだった。

社会を変えるための市民運動も素晴らしいけど、
まずは自分の暮らしを変えること。
そこで近年、学び取り入れていたのがパーマカルチャーだった。

きちんと学びたいと去年の春、タイのパイのジャングルにあるタコメパイ・パーマカルチャーファームにパーマカルチャーコースを学びに行った

タコメパイの暮らしは都会っこの自分には、ハードでもあったけど
自分が見たいと思っていた世界があった。

毎日、オーガニックなベジ料理で
コースで学び、踊り、瞑想して、ヨガやって畑やって、
ゆっくりで、小さく。そして丁寧な暮らし。

先生のサンドットが、
「日本は原発事故起こしたのに、変わらない。」って言ってたのが
とても心に残った。

その一方で、日本には今は亡くなっている福岡正信さんが、
パーマカルチャーの神様みたいなにリスペクトされていたりする。
「Do you know Masanobu Fukuoka?」って欧米人たちに聞かれる。

福岡さんの自然農法は、パーマカルチャーとは違うが、
ただの農法であらず、哲学で悟りで宗教のようで、まるでガンジーみたい。

タイから帰ってから「日本でパーマカルチャーを実践するぞ!」って気合い入っていたが
ハイテンションは永くなく、帰ってから、いろいろあって借りていた畑で曼荼羅ガーデンとかデザインしていたのも、オワコンになり、日々の暮らしのなかで、いろんな意欲がトーンダウンしていった。

こんなにテンション上がらないの珍しい、もしかして鬱? でも凹んだりはしていないし。
綺麗なおねえちゃん見ても、あんまりエロい気分になってない気がする。
もしかして、年とったせい? とかも思った。

2ヶ月前くらいから、ちょっとずつ気持ちが上がってきていた。

サーフィンしたい!

やっぱり、サーフィン好きなんだって。
サーフィンはじめてから、こんなにも海に行かない日々は初めて。
なぜか海に行かない、サーフィンしていない。

引きこもり気味で、料理して掃除して瞑想して絵を描いて、ブログ書いている。

そして、サーフィンとともに、やっぱりやりたいのは
パーマカルチャーを実践する暮らし。

Noではなく、Yesで生きる。
問題ではなく、答えを生きること。

スローで時間がかかっても
好きに畑をデザインしたり、建物立てられる場所を探すことに決めた。
もちろん海近で。
温泉が近いとさらにいいな。

島暮らしも楽しいけど、次の住処が待ってるって予感あり。

ということで新月の決意。

サーフィンいっぱいして、パーマカルチャーやって生きる。

見たい世界を見たのだから、
今度は自分がデザインするんだ。

いい場所にご縁あるように。

楽しい場所、面白いところの話大歓迎です。
そして一緒にやる仲間も大歓迎。

今、日本銀行券は手持ちはほとんどないが
助け合い、工夫すればいろんなことが出来るよ。

自分では出来ないけど、お金は持っているから出すってパトロンになってくれる人も大歓迎だが、今の日本にはそんな人はなかなかいないもんだ。

「早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け」
「If You Want To Go Fast, Go Alone. If You Want To Go Far, Go Together」

アフリカのことわざ

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