人は決まった住む家がなくても生きて行けるだろうか?
そんな実験をしようと思ったわけじゃないが、結果的に約3ヶ月間、家のない生活をすることになった。
ノマドライフ? ホームレス?
まあ屋根のある場所では寝ていた。
きっかけは、仕事を辞めると決めたことからだった。
仕事の契約は1年だったが、2ヶ月くらい前倒してやめることにした。
なんで、わずか2ヶ月待てなかったのかは自分でもわからなかったが、
とにかく心から、やりたいことがあった。
ブログで何度も書いているが、
「パーマカルチャーを学びたい。 海外のパーマカルチャーを見てみたい!」
もう一つが
「今、住んでいる島から別の土地に引越ししよう♩」
ということだった。
引越し先は決まっていなかったが、仕事は辞めることにした。
住んでいたのが会社の寮のワンルームマンションだったので、
仕事を辞める = 引越し だった。
引越し先は、一度は決まりかけたが、直前になって突然今の島暮らしが楽しくなってきて
もうちょっと、この島で暮らそうかな? なんて思い始めたところ、ネックは荷物だった。
部屋にあるものどうするか?
荷物少ないっていっても全部捨てるのは躊躇した。
レンタルロッカーに一時的に入れようかとか考えた。
結局、荷物を預かってもらえることになり、
「ヤッター ありがとう♩」
うれしい、感謝 島暮らしの継続が決定!
軽トラまで貸してもらい荷物を預けられた。
バイク リトルカブは他の友達が預かってくれることになった。
送別会をやってくれるって話は壮行会に変わった。
だって、すぐ戻るもん。
旅は2ヶ月の予定だったが、なんと先に次の仕事が決まった。
2ヶ月の予定にしたのは、予算ギリギリの計算だった。
介護施設の寮にいて、仕事で腰痛とか身体ボロボロだったので、デスクワークの話に給料少ないけど、まあいいかって飛びついてしまった。
それで旅は5週間に縮小した。
まあ、なので家なし生活と言っても、5週間は旅だった。
家なし生活 最初は国内ミニ旅
まずは、那覇の安いゲストハウスに2泊。
個室で安かったけど、部屋はイマイチだった。
そして宮崎。
宮崎ではサーファー御用達のゲストハウスに1泊。
ここが旅では最高だった。
そして、友達の車で1泊。
ハイエースは男2人でも意外と広くてよく眠れた。
そして農家民宿に一泊。
合計で宮崎に3泊。
そして横浜の実家に約一週間。
家なし生活 楽しい海外旅
飛行機の移動で翌朝迎え、チェンマイのゲストハウスに1泊。
そして念願のタイのパイのパーマカルチャーファームに11泊12日。
タコメパイで住んで部屋は、長く住むのはキツいような小屋だったが、
毎日ご飯が美味しくて最高だった。
そしてチェンマイに戻って、ゲストハウスにもう1週間。
チェンマイのゲストハウスは、ちょっとカオスな雰囲気だったが、居心地はよかった。
日本に帰り、横浜の実家に3泊して、石垣島に戻る。
ここまでで、長いようであっという間だった。
家なし生活 島でのゲストハウス暮らし!
そして石垣島に戻り、ゲストハウスに泊まりながら、仕事をしながら家探しを始める。
安いゲストハウスとかもあるが、どこもいっぱいで、なかなか安い宿は泊まれるところも少なかった。
まさかのゲストハウスが不足していた。
いろんなところに電話したり、メールしたり、直接聞いたりした。
ブログじゃゲストハウスの名前は書かないけど、めっちゃ対応悪くてビックリな場所とかあった。
自分が電話で問い合わせたら、空き室ないって言われたのに、女友達だったら泊まれたりとかもあった。
観光地として大丈夫かいってぶっちゃけ思った。
そして、カレンダーどうりに休みの職場で、ゴールデンウィークが休み。
ゴールデンウィークはゲストハウスに予約入っていたので、友達が借りていた土地で
テント生活した。
テントって言っても友達のトレーラーハウスで、電気もあるし、なかなか快適だった。
電気は太陽光で発電してオフグリッドで使用していた。
使いすぎると停電した。
水は毎日、キャンプ場に汲みにいった。
ここから仕事通えばお金かからないじゃんって言われたが、通勤40分遠い。
東京じゃふつうな距離だけど、島暮らしでは遠い。
連休後は、またまた宿暮らし再開。
ゲストハウスと言っても、個室。
30日で3万8千円。キッチン、トイレ、シャワーは共有。
部屋は暗くて、空気悪かった。
そして、共有スペースには昼間からお酒飲んでいるオジさんいたり。
アパートすぐ決まると思っていたが、なんとゲストハウスだけでなく賃貸物件も少ない。
不動産屋に何十回も行くということになった。
友達に空き室聞いて、問い合わせたり、やっと空いているところあったら家賃高かったり
家賃安いけど、ちょっと住めませんって部屋だったりした。
部屋が空いていない理由のひとつは、海上保安庁の職員が数百人住むとかで、アパートがだいぶ
抑えられているということだった。
びっくりする理由だよね。
そして、アパート見つからないし、宿は居心地よくない。
宿のオーナー夫妻は、とてもいい人たちで、そこはとってもありがたかった。
途中で他の宿を探したが、宿も見つからず。
その生活がよくなかったのか、約10年ぶりに風邪をこじらせて、しかも一ヶ月くらい風邪引いていた。
ついに家が決まる! しかし本当に家?
2ヶ月の宿暮らし。 友達の紹介で小さい家を安く借りれることになった。
しかし、住む前からトラブルがハンパなかった。
まずは、ゴミ屋敷だった。
前に住んでいた人がゴミを置いて逃げた。
ゴミだけでなく、家賃も光熱費も払っていなかった。
結局、大家さんが光熱費を負担したんだけど、最初は初期費用いらないって話がお金かかったから
お金払ってほしいって話に変わった。
ゴミの一部は住んでから、自分が自腹で捨てにいった。
あまりにも、その家の居心地が悪くて、結局部屋借りたのに、夜寝るのとご飯食べるだけのために家にいるようだった。
部屋借りて、一ヶ月後しないで、アパート探しを復活した。
最大の問題は部屋に帰ると身体が痒くなることだった。
身体中に、皮膚の異常が出てしまった。
休みの日や夜はカフェとかで時間をつぶしたりした。
家を借りているのに、家なしノマド生活が継続しているみたいだった。
かなりドツボな世界にはまっていたが、まあ最悪なことばっかりではなかった。
こういときに優しくしてくれる人もいたり、人間の本性が見えたりするもんだ。
身体の痒みのおかげで、食べ物が原因かもしれないと思って
いろいろ気をつけるようになった。
おかげで、ケミカルなものとかインスタントなものとか、食べなくなった。
感謝しなきゃね。
そして、とどめは台風だった。
13年ぶりとかいう大型台風で、低気圧頭痛がとまらず、部屋は滝のように雨漏りして
部屋のなかの物が飛び、外の扉も壊れるなど、命の危険感じた。
この台風来て、次に引越しすることを決めた。
部屋が見つからなかったら、車に荷物を載せられるだけ載せて
テント生活して、週に1、2回ホテルに泊まろうかとかマジで考えた。
そして、アパートが決まってノマドライフは終わりになった。
結局、人は家がなくても生きていける?
結局、人は家がなくても生きていけるかだけど、工夫すれば家がなくても生きていけると思う。
というか、変な家に住むんだったら、テント暮らしとかのほうが楽しいと思った。
軽トラにモバイルハウスのせて、日本を旅するのもやりたいしな。
それでも、帰る家があるって、安心だし、心安らいでいいと思う。
結局のところ家があるかないかというより、愛があるかないかだなと思うこのころ
そろそろ、家無しの旅生活が恋しくなってきた。
旅に出よう。