いい人をやめたら、ムカついてきた。

コラム

今日は、13の月の新年。 赤い宇宙の月の年 磁気の月 1日。
暑い日が続くけど、暦は土用でちょっとずつ秋が近くなっている。
そして、天体では今日から水星逆光。
なんだか、いろんなもんが重なって、カオスな日だ。

さて「いい人だよね。」って言われることが多かった。
自分でも、なんとなく同意しつつも、本当かなあって長いあいだ疑問もあった。

本当は、「いい人」なんかじゃないし、だからって「悪い人」でもない。

「いい人」も「悪い人」も他人からの評価がつけたラベルにすぎない。

「優しい人」、「頭がいい」、「美人」、「面白い人」、「頑張っている人」、「スケベな人」、「頭のおかしい人」

これらはみんな他人からの評価だ。

「いい人」だろうと「頭のおかしい人」だろうと、その評価とその人は、何も関係ない。

その評価をまるで、その人自身であるかのように、思い込んでラベルを貼ってしまっている。

例えれば、スクリーンのなかのドラマを観て、ドラマの登場人物を真実だと思い込んでいるようなものだ。

ずっとずっと子供の頃から、親や先生、様々な人から 「おとなしい子だ。」、「活発な子」、「明るい子」とか、「しっかりした子」これでもかって評価でたくさんのラベルを何層にも自分の真実だと思い込んで生きてしまっている。

ずっと疑問だった。

こういう人だっていう評価と何か自分が一致していないような感じ。何か気持ち悪さ、スッキリしない。真実はなんだろうか?

そして、あるとき気がついてしまった。

自分がスクリーンのなかの物語を真実の物語だと思い込んでいるってことに。

自分が学んでいるNVC 非暴力コニュニケーションと出会って学んでいる過程で。

NVCがなんなのか、自分の言葉で以前に書いた記事のリンク。

非暴力コミュニケーション・共感コミュニケーションって何なんだ? 

自分の書いたのより、こっちのリンクの方がわかりやすいかな。

いい人間関係があるかどうかで、人生は圧倒的に豊かになる。だけどいったい、どうやったらいいんだろう? 日本一NVCを知る男・安納献さんとグリーンズ鈴木菜央が語り合った

 

さまざまな評価で他人や自分を判断していることに、一枚一枚皮が剥がれていくかに気づいていった。

そして、気づいたら怒りが出てきた。

「いい人、いい人」って、それは「お前の思い込みだろ!」

そんなんで人を決めつけるな、どいつもこいつも人を勝手に評価しやがってと。

腹たって、ムカついて、怒りが出てくる。

そして、自分自身にも、怒りが出てくる。

その評価を下している根源は一体なんなんだ?

自分は、いい人ってラベルはもういらない。 

そのラベルを剥がして生きたい。

この新しい疑問が自分に湧いてきた。

去年参加したIIT 国際集中トレーニングに参加したことがきっかけで、心にさまざまな変化がやってきた中で、

その疑問の答えというか気づきも自然とやってきた。

 

NVC Japan IIT 2017 国際集中トレーニング参加の振り返り

 

評価を下している奥にあること、それは

「ただ、起きていることを観て、命がイキイキしているだけじゃん!」ってこと。

 

そう言葉で書くと、たいしたことないような感じだけど、命の美しいエネルギーに触れているようで、慈愛や思いやりが自然と出てくる感じで、生きているってなんて美しいんだろうって思うようになれた。

世界が自分と世界という分離していた世界が、少しだけ溶けてつながった。

 

そうなったら、自分が評価を下してラベルを貼らない人になったかっていうと、そんなことはなく

昨日も今日もスクリーンのなかの世界に評価して決めつけている自分がいる。

そして、大きな変化は他人からの評価に、「フザケンナ」って怒りが湧いてくることになった。

他人が良いとか悪いとかで、怒りが出てきてるんじゃなくて、自分のなかの評価判断が怒りを出している。

 

怒りを悪もんにすると、また新しく、良いか悪いかの対立が起きる。
怒りも受け入れたらいいんだ。
ということで、まだまだ、怒りが出てくる。

「いい人」をやめようとしたら、「頭のおかしい人」ってラベルに変わった。

「いい人」をやめたい人は。ワークショップに参加してみたら何か変わるかもしれない。

ワークショップ・イベント

 

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